印西大師30 師戸から岩戸へ歩き、この日の打ち止め
- 2022/10/23
- 05:15
師戸から岩戸まで、また少し歩く。印旛沼病院の裏手の水田地域を抜ける。岩戸集落は旧印旛村でも最も大きな集落の一つで、3つの札所6つの番外札所がある。
そして、旧印旛村に多い宗像神社の中心はこちらだったようで、明治時代には宗像村という名前だった。郵便局の名前も小学校の名前も「宗像」である。印旛村の歴史民俗資料館もここにある。
スケジュールを修正した甲斐があって、ほぼ予定どおりに歩くことができた。時刻はそろそろ午後3時。午後4時のバスで岩戸集落から旧印旛村役場に戻る計画である。
あと1時間しかないが、翌朝もここからスタートなので全部お参りする必要はない。まず、印旛沼病院の方向に少し戻った番外札所広済寺を目指す。これまでの田舎道とは違って、歩道のない2車線で交通量も多いので気を使う。
番外札所広済寺は本堂こそ残っているものの、新しく墓地に開発されているようだった.札所は本堂の横に残っているが、本堂の横に大きな霊園の看板があって、石材会社の電話番号が書かれているのは少し寂しかった。
再び交通量の多い県道を、集落の中心に向かう。道路の右側に、三十二番高岩寺がある。ここは、市の歴史教室で一度来たことがある。千葉氏の庇護のもと、たいへん栄えた曹洞宗の寺院という。
本堂はたいへん立派で、印西札所の中でも最大級の大きさである。道路に近い場所に七福神の福禄寿像と並んで、三十二番札所があり、横に集会所がある。本堂と離れているのは、お寺の所有地でないのだろうか。
高岩寺から県道を渡って、宗像小学校の裏手に七十四番泉福寺がある。札所は薬師堂の建つ一角に、四国巡礼記念碑、弘法大師供養碑と並んでいる。同じ札所でも、こちらの方に記念碑が多いのは、真言宗だからだろう。
札所も簡素な小堂ながら、彫刻も細かく手が込んでいる。境内を広く使って、四国八十八ヶ所の地図、巡拝記念碑、弘法大師石像も置かれている。
そして、こちらにある薬師堂も国の重要文化財である。室町時代に移築されたことが、分解修理の際に判明した。旧印西町の光堂、旧本埜村の栄福寺薬師堂とほぼ同時代で造りもよく似ている。
このあたりで時間になったので、宗像郵便局前のバス停に急ぐ。この郵便局前にも、地面に近い所に小さなお堂が置かれている。ここも、あるいは番外札所なのかもしれない。
この日の移動距離は23.3km、歩数は39,559歩で、前半3日間より約1割減った。
この日の経過
平賀支所前 7:30 → (2.2km) 8:15 五十六番仲井堂 8:20 → (1.4km) 8:40 六十二番西定寺 8:50 → (1.4km) 9:15 七十六番特性院 9:25 → (1.6km) 9:45 二十四番願定院(昼食休憩) 10:10 → (3.7km) 11:00 六十五番栄福寺 11:10 → (2.0km) 11:45 十一番真珠院 11:50 → (1.9km) 12:20 八十番竜淵寺 12:30 → (1.4km) 12:55 三十六番青竜堂 13:00 →(1.2km) 13:25 東祥寺 13:35 → (2.1km) 14:10 広福寺 14:20 → (0.9km) 14:35 二十九番長円寺 14:45 → (2.4km) 15:30 三十二番高岩寺 15:35 → (0.4km) 15:40 七十四番泉福寺 15:45 → (0.7km) 15:55 岩戸バス停
[GPS測定距離 23.3km]

師戸から30分歩いて岩戸地区。宗像小学校、宗像郵便局、西部公園があり、印旛村でも古くから開けた地域である。高岩寺は千葉氏の庇護を受けた古刹。

国の重要文化財である泉福寺薬師堂。旧印西町の光堂、旧本埜村の栄福寺薬師堂も重文だが、これは偶然ではなく、指定にあたって「うちの方が古い」という話があったようだ。ここに七十四番札所がある。

泉福寺薬師堂の近くにある七十四番札所。四国巡拝記念碑や弘法大師供養碑もあるので、集落の大師講中心地として古くから位置づけられていたのだろう。
そして、旧印旛村に多い宗像神社の中心はこちらだったようで、明治時代には宗像村という名前だった。郵便局の名前も小学校の名前も「宗像」である。印旛村の歴史民俗資料館もここにある。
スケジュールを修正した甲斐があって、ほぼ予定どおりに歩くことができた。時刻はそろそろ午後3時。午後4時のバスで岩戸集落から旧印旛村役場に戻る計画である。
あと1時間しかないが、翌朝もここからスタートなので全部お参りする必要はない。まず、印旛沼病院の方向に少し戻った番外札所広済寺を目指す。これまでの田舎道とは違って、歩道のない2車線で交通量も多いので気を使う。
番外札所広済寺は本堂こそ残っているものの、新しく墓地に開発されているようだった.札所は本堂の横に残っているが、本堂の横に大きな霊園の看板があって、石材会社の電話番号が書かれているのは少し寂しかった。
再び交通量の多い県道を、集落の中心に向かう。道路の右側に、三十二番高岩寺がある。ここは、市の歴史教室で一度来たことがある。千葉氏の庇護のもと、たいへん栄えた曹洞宗の寺院という。
本堂はたいへん立派で、印西札所の中でも最大級の大きさである。道路に近い場所に七福神の福禄寿像と並んで、三十二番札所があり、横に集会所がある。本堂と離れているのは、お寺の所有地でないのだろうか。
高岩寺から県道を渡って、宗像小学校の裏手に七十四番泉福寺がある。札所は薬師堂の建つ一角に、四国巡礼記念碑、弘法大師供養碑と並んでいる。同じ札所でも、こちらの方に記念碑が多いのは、真言宗だからだろう。
札所も簡素な小堂ながら、彫刻も細かく手が込んでいる。境内を広く使って、四国八十八ヶ所の地図、巡拝記念碑、弘法大師石像も置かれている。
そして、こちらにある薬師堂も国の重要文化財である。室町時代に移築されたことが、分解修理の際に判明した。旧印西町の光堂、旧本埜村の栄福寺薬師堂とほぼ同時代で造りもよく似ている。
このあたりで時間になったので、宗像郵便局前のバス停に急ぐ。この郵便局前にも、地面に近い所に小さなお堂が置かれている。ここも、あるいは番外札所なのかもしれない。
この日の移動距離は23.3km、歩数は39,559歩で、前半3日間より約1割減った。
この日の経過
平賀支所前 7:30 → (2.2km) 8:15 五十六番仲井堂 8:20 → (1.4km) 8:40 六十二番西定寺 8:50 → (1.4km) 9:15 七十六番特性院 9:25 → (1.6km) 9:45 二十四番願定院(昼食休憩) 10:10 → (3.7km) 11:00 六十五番栄福寺 11:10 → (2.0km) 11:45 十一番真珠院 11:50 → (1.9km) 12:20 八十番竜淵寺 12:30 → (1.4km) 12:55 三十六番青竜堂 13:00 →(1.2km) 13:25 東祥寺 13:35 → (2.1km) 14:10 広福寺 14:20 → (0.9km) 14:35 二十九番長円寺 14:45 → (2.4km) 15:30 三十二番高岩寺 15:35 → (0.4km) 15:40 七十四番泉福寺 15:45 → (0.7km) 15:55 岩戸バス停
[GPS測定距離 23.3km]

師戸から30分歩いて岩戸地区。宗像小学校、宗像郵便局、西部公園があり、印旛村でも古くから開けた地域である。高岩寺は千葉氏の庇護を受けた古刹。

国の重要文化財である泉福寺薬師堂。旧印西町の光堂、旧本埜村の栄福寺薬師堂も重文だが、これは偶然ではなく、指定にあたって「うちの方が古い」という話があったようだ。ここに七十四番札所がある。

泉福寺薬師堂の近くにある七十四番札所。四国巡拝記念碑や弘法大師供養碑もあるので、集落の大師講中心地として古くから位置づけられていたのだろう。