印西大師8 計画未達により予定変更で2日目スタート
- 2022/05/22
- 05:15
印西大師巡拝初日は、予定よりも約2時間遅れて、4ヶ所のお参りを翌日に持ち越してしまった。2日目も天気は上々、まず前日未達だった所をクリアしなければならない。
本来であれば、前日迎えに来てもらったセブンイレブンまで送ってもらいそこからスタートすべきであるが、そうすると余計に時間と距離がかかってしまう。Google Mapで計算した結果、一番よさそうだという修正ルートに落ち着いた。
それは、前日お参りする予定だったルートを家からセブンイレブンまで逆にたどり、そこから当日ルートに合流する計画である。2時間遅れをカバーできるか分からないが、帰りは家まで戻る予定なので、時間を見ながら途中で判断することにした。
7時50分、初日より10分早く家を出る。最初の目的地は番外札所の宗甫(そうほ)観音堂、ここは家からすぐ、いつものお散歩コースである。
このあたり、つい先日まで現役だった農家のおじいさんが亡くなり、梨園も縮小され畑も住宅地になってしまった。観音堂は宗甫青年館から少し印西総合病院寄りにある。森に囲まれた鬱蒼とした場所だったが、すぐ裏に新しい保育園ができて景色が変わった。
手を合わせてお参りする。ナンバー札所には入っていないけれども、明治ルートに記載されているように巡礼経路に入っていたのだろう。いまでは青年館もほとんど使っていないし、観音堂は傾きかけている。
観音堂や札所はかなり古いのだが、新しいのはご詠歌の扁額である。木版に彫ってあるので墨と違って消えないし、他の札所よりかなり新しく見えた。四国十六番観音寺「わすれずもみちびきたまえ観音寺…」のご詠歌であった。
宗甫から別所へは、前日泉倉寺に行く途中に通った亀成川を渡って対岸の高地に進む。この道は、大正時代の1/25000図にも載っている古い道だが、ニュータウン計画にかかっている地域なので新しく舗装し直され、道幅も広くなった。
左側は長いこと更地でフェンスで囲われていたが、ここ数年で工業団地が次々と整備されている。近い将来、倉庫などの施設が建つものと思われる。GoogleとかAmazonという噂も聞くが、実際どうなのか分からない。
二十番、七十番の置かれている別所地蔵堂は、家から歩いて1時間もかからない。よくお参りする仁王門をくぐって地蔵堂にお参りする。
小さなお堂は、向かって左側に2つ建っている。そのひとつに、七十番の札所がある。傍らに「南無大師遍照金剛」の石碑、小堂には、お墓によくある石の香炉と花立てが備え付けてある。
光明真言を唱え、手を合わせる。ここにはもう一つ二十番があるはずだが、どこにあるのだろう。地蔵堂の裏手にある共同墓地を探したが見当たらない。さて、どうしたものか。
改めてスマホの地図を確認すると、この地蔵堂の本堂は少し離れた場所にあって、そちらが明治ルートにも名前が載っている宝泉院であるらしい。うかつにも、そちらが本堂なのにいままで行ったことがなかった。
100mほど戻ると、そちらに本堂と二十番札所があった。改めてお参りする。四国二十番は鶴林寺、八十八ヶ所の中でも重要なお寺である。
荘厳な地蔵堂がいまでも残るように、こちら地蔵寺宝泉院も、古くは何ヶ所かの拠点を有する大寺だったという。印西大師の選定にあたっても、四国で大きなお寺のお砂は印西でも大きなお寺に納められているようだ。

宗甫(そうほ)観音堂と番外札所。林の中の鬱蒼とした場所だったが、裏に保育園が出来て景色が変わった。大師堂には十七番観音寺のご詠歌が掲げられている。

宗甫から別所地蔵堂へ向かう。この道は江戸時代からある古道だが、ニュータウン開発により拡幅された。左の空き地にはいずれ工業団地が建つ予定。

二十番別所地蔵堂は普段のお散歩コース。七十番札所は、100mほど離れた本堂にある。
本来であれば、前日迎えに来てもらったセブンイレブンまで送ってもらいそこからスタートすべきであるが、そうすると余計に時間と距離がかかってしまう。Google Mapで計算した結果、一番よさそうだという修正ルートに落ち着いた。
それは、前日お参りする予定だったルートを家からセブンイレブンまで逆にたどり、そこから当日ルートに合流する計画である。2時間遅れをカバーできるか分からないが、帰りは家まで戻る予定なので、時間を見ながら途中で判断することにした。
7時50分、初日より10分早く家を出る。最初の目的地は番外札所の宗甫(そうほ)観音堂、ここは家からすぐ、いつものお散歩コースである。
このあたり、つい先日まで現役だった農家のおじいさんが亡くなり、梨園も縮小され畑も住宅地になってしまった。観音堂は宗甫青年館から少し印西総合病院寄りにある。森に囲まれた鬱蒼とした場所だったが、すぐ裏に新しい保育園ができて景色が変わった。
手を合わせてお参りする。ナンバー札所には入っていないけれども、明治ルートに記載されているように巡礼経路に入っていたのだろう。いまでは青年館もほとんど使っていないし、観音堂は傾きかけている。
観音堂や札所はかなり古いのだが、新しいのはご詠歌の扁額である。木版に彫ってあるので墨と違って消えないし、他の札所よりかなり新しく見えた。四国十六番観音寺「わすれずもみちびきたまえ観音寺…」のご詠歌であった。
宗甫から別所へは、前日泉倉寺に行く途中に通った亀成川を渡って対岸の高地に進む。この道は、大正時代の1/25000図にも載っている古い道だが、ニュータウン計画にかかっている地域なので新しく舗装し直され、道幅も広くなった。
左側は長いこと更地でフェンスで囲われていたが、ここ数年で工業団地が次々と整備されている。近い将来、倉庫などの施設が建つものと思われる。GoogleとかAmazonという噂も聞くが、実際どうなのか分からない。
二十番、七十番の置かれている別所地蔵堂は、家から歩いて1時間もかからない。よくお参りする仁王門をくぐって地蔵堂にお参りする。
小さなお堂は、向かって左側に2つ建っている。そのひとつに、七十番の札所がある。傍らに「南無大師遍照金剛」の石碑、小堂には、お墓によくある石の香炉と花立てが備え付けてある。
光明真言を唱え、手を合わせる。ここにはもう一つ二十番があるはずだが、どこにあるのだろう。地蔵堂の裏手にある共同墓地を探したが見当たらない。さて、どうしたものか。
改めてスマホの地図を確認すると、この地蔵堂の本堂は少し離れた場所にあって、そちらが明治ルートにも名前が載っている宝泉院であるらしい。うかつにも、そちらが本堂なのにいままで行ったことがなかった。
100mほど戻ると、そちらに本堂と二十番札所があった。改めてお参りする。四国二十番は鶴林寺、八十八ヶ所の中でも重要なお寺である。
荘厳な地蔵堂がいまでも残るように、こちら地蔵寺宝泉院も、古くは何ヶ所かの拠点を有する大寺だったという。印西大師の選定にあたっても、四国で大きなお寺のお砂は印西でも大きなお寺に納められているようだ。

宗甫(そうほ)観音堂と番外札所。林の中の鬱蒼とした場所だったが、裏に保育園が出来て景色が変わった。大師堂には十七番観音寺のご詠歌が掲げられている。

宗甫から別所地蔵堂へ向かう。この道は江戸時代からある古道だが、ニュータウン開発により拡幅された。左の空き地にはいずれ工業団地が建つ予定。

二十番別所地蔵堂は普段のお散歩コース。七十番札所は、100mほど離れた本堂にある。