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今治城の城門を山門に移築した延命寺 五十四番延命寺(その5)

遍路シールにしたがって進むと、池が見えてきた。車遍路の人達が、車を下りて歩いている。やっと着いた。もう午後4時半を過ぎている。余裕があると思っていたのに、結局ぎりぎりの時間になってしまった。

納経所には「お参りをすませてから来てください」と書いてあったが、「ぎりぎりだからいいですか」とお願いしたら大丈夫だった。大汗をかいて息をきらせているので、「どちらから歩かれました?」「松山から」と答えると、「途中で泊まらないで松山からずっとじゃ大変でしょう」と言われてしまった。

近見山延命寺(ちかみさん・えんめいじ)。近見山は今治市を一望する山の名前で、延命寺から近見山の向こう側が今治市である。瀬戸内海やしまなみ海道の好展望地で、もともと近見山に堂宇があったものが戦国時代に焼かれてしまい、現在地に移転したものと伝えられる。

こちらのお寺は、池からすぐの位置に仁王門があり、そこから奥に山門がある。普通は逆なのに珍しいと思って説明書きを読んでみると、この山門はもともと今治城の城門であったということである。

明治維新で取り壊しになりそうなところを、延命寺に持ってきて移築したそうである。明治といえば神仏分離・廃仏棄釈とすぐ結びついてしまうが、こうやってお城で壊されそうなものをお寺に持ってきて保存したりするところもあったのである。

四国札所でも神仏分離・廃仏毀釈の影響はかなりあったのだが、九州のようにほとんどのお寺が廃寺になってしまったような地域と比べると、数多くのお寺が今日まで残っている。一時廃寺になっても、間もなく復活したところも多い。八十八ヶ所の伝統がイデオロギーをしのいだということだろう。

もうご朱印をいただいているので、落ち着いてお参りする。山門入って正面が本堂であり、左手に納経所がある。大師堂は本堂と納経所の間を左に登って行く石段の上にある。もともと山号にあるように近見山の頂上に堂宇があったというから、その名残りかもしれない。

本堂の柱や欄間にはたくさんの納札が貼られたままになっている。少々なら珍しくないが、多量に残っているのは珍しい。現代のものではないようだが、いつ頃のものなのだろう。

お寺に大小は関係ないけれども、昔は同じ「圓明寺」であった五十三番と五十四番が、かたや街中にあるコンパクトなお寺で、かたや境内に山も池もある大規模なお寺という違いはたいへん興味深い。

境内が広いので、ゆっくりしていたら午後5時を過ぎてしまった。ホテルには午後6時着と伝えてあるのと、暗くなる前に着きたいので重い腰を上げる。次の南光坊への遍路道は、池まで戻らずに左にある丘を越えて行く。ここまで来れば市街まで歩くしかないが、足腰はいよいよ重く、少々の坂道がつらい。

(この項続く)

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら。モバイルフレンドリー対応済。



こちらのお寺は、仁王門をくぐってから山門がある。この門はかつて今治城の城門であったものを移築したそうだ。


延命寺本堂。左手納経所。納経所の奥を左に石段を登ると大師堂がある。かつて近見山の山頂に堂宇があった名残りかもしれない。


本堂右手に遍路道が続く。仁王門まで戻ってはいけない。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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