FC2ブログ

記事一覧

四国札所歩き遍路 五十三番円明寺(前編)

太山寺から、再び山門を経て山側を歩く。距離的には3.6kmと1時間弱であるが、朝早かったためかこのあたりではガス欠気味であった。

円明寺への道は、遍路地図(このブログで遍路地図とは、「四国遍路ひとり歩き同行二人」地図編第10版のことである)では紛らわしく描かれているが、実際には太山寺の山門を出て左に折れ、そのまま道なりにまっすぐ進めば着く。ただし、信号が何ヵ所かあるので赤になれば止まらなくてはならない。

途中で一車線で歩道なしの狭い道となるが、そこを除けば片側一車線歩道付きの高規格道路である。行先表示も、要所でちゃんと「↑ 円明寺」と出てくる。ローマ字表記をみて、こちらが「えんみょうじ」だったと再認識する。というのは、五十三番と五十四番は「円明寺」と「延命寺」だが、この二寺は江戸時代には「圓明寺」で両方同じだったのである。

手許にある「象頭山参詣道四国寺社名勝八十八番」によると(象頭山は金毘羅様のこと)、五十三番は「ゑんミやうじ」、五十四番は「ゑんめいじ」とあり、当時も今と同じ読み方である。ただし漢字で書くと圓明寺が二つ続くというのは紛らわしいので、明治になって両寺の話し合いで五十四番が「延命寺」に改めたという。

その結果、漢字で読む分には区別がつきやすくなったが、逆にどっちが「えんめいじ」か「えんみょうじ」かが分からなくなった。読み仮名としては、両方ともどちらでも読めるからである。

ということで、松山市郊外の方が「えんみょうじ」である。道はひたすらまっすぐ進む。遍路地図ではお寺近くになって左折して境内に入るように描かれているが、歩くのであればまっすぐ進むと山門である。

須賀山円明寺(すがさん・えんみょうじ)。江戸時代に土地の有力者であった須賀氏が再興したことから山号としたと伝えられる。境内は街中に位置していることもあり、たいへんコンパクトだ。太山寺の巨大な本堂を見た後なので、余計にそう感じる。これまでお参りした中では、徳島の観音寺に似た感じだ。

その広くない境内の中に、もう一つの山門(中門)があるので本堂までのスペースはかなり狭い。大師堂と納経所は山門と中門の間にある。ご詠歌に、「来迎の弥陀の光の圓明寺」と謳われているとおり、ご本尊は阿弥陀如来である。

こちらの寺は、明治になって米国の学者が発見した銅製の納札があることで知られているが、本堂の中、ご本尊をお納めする厨子の扉に打たれているので、実際に見ることはできなかった。

江戸時代初め(1650年)の銅板の納札で、これが確実に時代を確定できるものでは最も古く「遍路」という言葉を使っている資料だそうで、真念「道指南」より20~30年古い。とはいえ、ご本尊の厨子などに打つことが可能だったのか。あるいは銅の納札は珍しいということで、お寺の方でご本尊近くに移しておいたものか、いろいろ想像できる。

明治の神仏分離・廃仏毀釈ではお寺にあった多くの文化財が失われた。八十八ヶ所の中にも、いったん廃寺になったところは少なくない。そうした混乱期を経て、こうした記念品が現在まで残っているのはすばらしいことである。

(この項続く)

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら。モバイルフレンドリー対応済。


↓どれかクリックしていただければうれしいです。

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ


太山寺の山門を出て、来た方向にV字型に戻る。円明寺までは道なりにまっすぐ進めばよく、遍路地図は少々わかりにくい。


遍路地図ではお寺の入口手前で曲がるように書かれているが、ひたすらまっすぐ進む。横断歩道マークの下に見えるのが山門。


山門の近くまで来た。市街地の中にあるのがよく分かる。


プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
過去のnifty、忍者などのブログ記事は、下のリンクからホームページでご覧いただけます。
SSL化整備おおむね完了(2019/05/11)。

カレンダー

04 | 2019/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -