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山門からが長い登りの太山寺 五十二番太山寺(完結編)

遍路地図に「山門」と書いてあるのは実は仁王門で、山門はもっとずっと前にある。山門の奥まで民家が続いているのは大宝寺など例があるが、太山寺の場合はバス停すら山門の奥にある。そして、仁王門の奥にも、お寺の施設でない民家があるのであった。

普通は山門・仁王門とくぐれば本堂エリアはすぐ先のはずだが、太山寺の場合はここからがまたひと苦労である。仁王門のところに、「納経所まで350m、本堂まで550m」と書いてあるので心の準備はできるのだが、ただの300m、500mではなく急傾斜の坂道である。

本堂エリアまでさらに急坂を登らなければならないので、申し訳ないが、お手洗いをお借りするついでに先に納経所でご朱印をいただく。あの石手寺以来ひさびさのご朱印である。石手寺では、あまりのワンダーランドで頭に電波が飛び込んでくるような気がしたが、太山寺はそのようなことはない。ありがたいことである。

「のぼれば汗の太山寺」とご詠歌を口ずさみながら、かなりの急傾斜がある坂道を登る。本堂エリアのすぐ下まで、何軒かの家が建っている。最初はお寺の施設かと思ったのだが、軽トラとか普通の車が止まっていて、玄関先ではみかん(いよかん?)の産直販売をしているところをみると、普通の民家なのだろう。なんだか不思議な気がした。

午後2時前、ようやく本堂エリア着。蓮華寺からは1時間半かかった。ご詠歌の通り、ハードなお参りであった。とはいえ、山をずいぶん登ってきて、しばらくぶりで札所の引き締まった空気に触れることができたような気がした。

龍雲山太山寺(りゅううんざん・たいさんじ)、「霊場記」には、聖武天皇の創建であり境内には孝謙天皇(聖武天皇の娘)が建てた石塔があると書かれている。「霊場記」にも、後冷泉院から後白河院まで平安後期の天皇が観音像を奉納したとある。

寺伝によると、豊後の富豪である真野長者が松山沖で難破しそうになり、観音様に祈願して助かったことから建立されたものという。現在の本堂・仁王門は鎌倉時代に河野氏が寄進したもので、古くから栄えていた寺院であることは間違いないようだ。本堂は国宝であると大々的に看板がある。

蓮華寺から休むところもなく、また仁王門から登り坂を登ってきたため、ベンチのある広い東屋でひと休みさせていただく。ずいぶんと山を登って来たのに、広い境内である。参道正面に横に広く本堂があり、中には歴代の天皇陛下が納められた観音像があるそうだが、外からは分からない。

左に階段を登って大師堂。右側は鐘楼と厄除け大師の幟が立っている。東屋で座っていると、静かで落ち着くお寺である。境内の雰囲気に心と体を一体化させる。札所をお参りするのは、こういうことをしたかったからなのだ。石手寺のように集団的自衛権だの仏陀の嘆きだのと書かれた立て看板を見るためではないのだ。

息も整ってきたので、重い腰をあげる。時刻は午後2時をすでに回った。午前4時前から起きているので、ちょっと足が重たい。

参拝者が本堂の前で何か見ているので私も行ってみると、般若心経の文言が刻まれた摩尼車だった。チベットのお寺にあるのをときどきTVで見るが、日本では珍しいのではないだろうか。金銅製の立派なもので、重くて回すには力がいる。

[ 行 程 ]
道後公園駅 10:10 →
[2.2km] 10:40 山頭火一草庵 10:15 →
[2.8km] 11:30 和食どんと(昼食)11:50 →
[1.7km] 12:15 蓮華寺 12:30 →
[6.1km] 13:55 太山寺 14:15 →

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら。モバイルフレンドリー対応済。



仁王門から坂を登り、300m先に納経所、さらに300m先に本堂エリアがある。この坂の奥にも何軒かの民家がある。


大山寺本堂。鎌倉時代の創建、国宝である。重機もない時代、山の上にこれだけのお堂を作るのは大変だっただろう。


般若心経が刻まれた摩尼車。回すとお経を読んだと同じ功徳があるという。本堂前にあるのは珍しい。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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