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どう考えても2.9kmでない海岸寺・道隆寺の距離 七十七番道隆寺(前編)

海岸寺奥ノ院にお参りしている間に、午後2時を過ぎた。帰りは海岸寺まで戻らなくても、弥谷寺方面から県道に抜ける道も遍路地図に載っているが、かえって遠回りのようなのでいったん海岸寺の前まで戻り、右に入ってJR海岸寺駅方面に向かう。

しばらく進むとJR海岸寺の駅前に出た。新日本風土記で見たうどん屋さん「多奈加」の看板が見えるが、シャッターは閉められていた。そのまま川沿いを進むと、それほど歩かずに多度津へんろ小屋の近くまで来た。往きに歩いた道はかなり遠回りだが、なぜあちらが推奨ルートなのだろう。

このあたり道は東西南北に走っていて、JRの線路は斜めである。道隆寺はJR多度津駅の近くなので線路沿いに歩ければ最短距離なのだが、そういう道路はない。なるべく線路から離れないように歩くだけである。

まっすぐ続く住宅街の道を抜け、バスの通る太い道を北に歩いて多度津駅の近くまで来たのだが、駅前にある標識を見ると「道隆寺1km」である。すでに時刻は午後4時近い。迷ってもいないのに、2時間近く歩いている。絶対に2.9kmである訳がない。

駅前の通りを直進して陸橋を渡ると、ようやくそれらしきお寺が見えてきた。桑多山道隆寺(そうたさん・どうりゅうじ)、寺号は創建した和気道隆の名前からとったとされる。

和気氏は空海の佐伯氏と同様、この地域の豪族であった。道隆は弘法大師空海の父である佐伯善通の兄弟という伝承もあるけれども、「霊場記」に元明天皇(奈良時代初め)時代の人と書いてあるから、半世紀以上違うようだ。

桑多山というのは、かつてこの付近は桑畑であったところからきている。領主の道隆が毎晩怪しく光る桑の巨木を射たところ誤って乳母を射てしまい、これを悲しんで桑の木を彫って薬師如来像をお祀りしたのが始まりとされる。

やはり「霊場記」に、仏教徒でなくても受けられる灌頂を開き多くの人が集まったとあるから、民間信仰の振興拠点としての要素があったものとみられる。五来重氏は、鎌倉時代に山伏が再興した寺であると推測している。

境内に入ると、参道にずらっと並んだ石造りの仏様と、「眼なおし薬師如来」の幟が目に入る。仏様には髪があるので、薬師如来ではない。菩薩、おそらく観世音菩薩(観音様)かと思われた。

境内は、善通寺ほど広くはなく金倉寺よりもやや小さいように思えたが、本堂・大師堂の他にもいくつかのお堂が並んでいる。納経所のおばさまと、海岸寺をお参りしてきたらずいぶん時間がかかってしまいました、と話になる。

「そうなんですよ。海岸寺からはかなり距離があります。本とか見ると短いように書いてあるようですけど、実際はずいぶん長いんですよ」

とおっしゃっていた。やっぱり、遍路地図の2.9kmというのは嘘だったんだ。

(この項続く)

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら


海岸寺から道隆寺に向かう。遍路地図の赤線ルートではないが、JR海岸寺駅を経由する道が近くて分かりやすく、車も少ない。


遍路地図には2.9kmと書いてあるが、実際に私が歩いたのは7km。どんなに近道しても6km以上はあるだろう。着いたのはすでに4時過ぎ。


境内には多くの石の仏像(観音様?)がお並びになっている。正面は大師堂。

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taipa

Author:taipa
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