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岩間駅までの道を大間違い 吾国山・難台山(完結編)

この日いくつめの峠になるだろう、432三角点からの急坂を下りると団子石峠だった。峠の少し前に、団子石という巨石があるが、あまり団子のようには見えない。時刻はもう2時10分前である。

この先、ハイキングコースは愛宕山へと続いているが、これ以上アップダウンを歩くのは嫌だし、うっかりすると日が暮れる。ここから林道を下るエスケープルートがあるが、所要時間は不明である。

それでも、麓まで1時間、麓から岩間駅まで1時間の合計2時間みれば大丈夫だろう。午後4時には駅に着くことができる。前回、加波山でバス停まで着く頃には日が暮れてしまったので、ああならないようにしなければならない。

ということで、林道を下って行く。車も人も、まったく通らない。そして、舗装道路なので右足と左足を交互に出していれば着実に高度を下げることができる。1時間とみていたが、30分経つ頃には山の中から太陽発電基地のある麓に着くことができた。

ここまで来ればひと安心である。しばらくは、1月とは思えないくらい暖かい日差しの下、北に笠間の山並み、南に登るはずだった愛宕山を見ながら、あとは駅まで歩くだけとのんびりと歩を進めていたのである。

しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、ここから岩間駅までたいへんなことになったのである。

後から考えると、山の中の地図はちゃんと用意していたのに市街地の地図は持っていなかったこと、エスケープルートを下りてからの下調べもしていなかったこと、GPSを持っているのにきちんと方角を確認しなかったことなど、あまりに油断していた。これが山の中なら、遭難である。

とにかく、東に進めばいずれ常磐線に当たるだろうと軽く考えていた。後からGPSを調べると、岩間駅まであと500mくらいまで進んでいながら、いつのまにか北に進路を変え、およそ5kmほど遠回りしたのである。

駅へ行く道だから太い道に違いないと思って、大型車通行止の道に入らなかったのがいま思うと大間違いで、そのまま進めば駅まですぐだった。そこから片側一車線の道に出たのだが、東に向かうつもりで駅とは反対側に向かってしまったのである。

ずいぶん歩いて常磐線をまたぐ陸橋に達した頃には、もう午後4時だった。どちらを見ても駅などない。仕方がないからそのまま進んでミニストップに入り、ソフトクリームを頼みながら駅への道を聞くことになってしまった。

店の人に聞くと、目の前の道を南に進んで役場の先を右折すれば駅らしいが、歩くと遠いですよというような反応である。とはいえ、歩くしかないのである。

その通り歩いて行くと、なんと進行方向に愛宕山が見えて、完全に行き過ぎたことを思い知らされた。そして、日没間近の強烈な西日を真正面から浴びながら、前を向いて歩くのもまぶしくてつらいくらいであった。

岩間駅に着いたのは午後4時40分、電車を待つ間に日が暮れた。ちゃんと歩いていれば見込んだとおり午後4時には駅に着けたはずであるが、再び加波山と同じようなことになってしまった。山の中でこうならなかっただけ、ラッキーと思うしかない。

(後日、岩間駅までもう一度歩いた。太陽光発電装置のあたりから岩間駅までちょうど1時間だったので、間違えなければ午後3時半には駅に着けたはずである。)

ただ、合計20km以上歩いて、結構アップダウンもあったのに、太ももはあまり痛くならなかった。冬になって定期的に山を歩くようになったので、効果が出てきたようでそれはそれでうれしい。

この日の経過
JR福原駅(59) 8:20
8:50 鳥居下(103) 8:55
10:15 吾国山(518) 10:30
11:05 道祖神峠(310) 11:05
12:05 頂上直下(483) 12:25
12:35 難台山(553) 12:40
13:25 432三角点(432) 13:30
13:50 団子石峠(298) 13:55
16:40 JR岩間駅(42)
[GPS測定距離 22.0km]


p.s. 「中高年の山歩き」、バックナンバーはこちら


難台山から先もアップダウンが続く。午後2時になったので団子石峠からエスケープルートを下ることにした。


麓まで1時間かかるかと思ったが、30分ほどで下りてきた。後方は登るはずだった愛宕山。


笠間の山々を見ながら暖かい冬の道を歩く。この後、岩間駅の近くまで行ったのに5kmほど遠回りしてまたもや日が暮れた。

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談山神社について

taipaです。管理人限定コメントとして、兄弟HPである「常識で考える日本古代史」についての質問がありましたので、かいつまんで報告させていただきます。

ご質問は、 「5.5 実像の天智天皇」の談山神社の写真説明に、中大兄と鎌足が大化の改新の密談をしたのが談山神社と書かれているが、談山神社の創建は鎌足の息子ではないかというものでした。

以下のとおり回答させていただきました。(一部修正)。

説明が舌足らずですみません。

ご指摘のとおり、談山神社はもともと鎌足の子・定恵が創建した妙楽寺で、大化の改新当時にはありません。だから、正しい書き方としては「現在の」談山神社とすべきところであり、原文を修正させていただきました。蘇我氏「妥当」もちょっと恥ずかしいですね。併せて修文させていただきました。

談山神社に行った時、「中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠をした庭」はここですという案内がありました。まさか、645年前後からずっとそのままとは思えないんですが、ここはおそらく中臣氏の持ち山の一つで、改新グループが蹴鞠を口実に集まって談合したのでしょう。蘇我氏の本拠である飛鳥寺や石舞台古墳、当時の都とされる飛鳥板葺宮も、近くとはいえませんが歩いて行ける場所です。

談山神社を創建した定恵は鎌足の後継者となった不比等より年長でした。なぜ、定恵(俗名・中臣真人)ではなく不比等が後継となったのか。大鏡には不比等が実は中大兄の子だと書いてあります。ありそうなことです。時代は下りますが、平清盛と白河法皇にも同様の説があります。

BLOGの方もご愛読いただければ幸いです。ではでは。

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