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なぜ難台山と名付けたのだろう 吾国山・難台山(後編)

道祖神峠からしばらくは砂利道の緩やかな登り坂だったが、やがて傾斜のきつい坂道となる。斜めに丸太が埋めてあって、その上をスイッチバックしていくような道である。かなりきつい。吾国山も難台山も同じような高さのはずなのだが、下った以上に登らされているように感じる。

そして、急に風が強くなったのが気になった。正午が近づいて強くなったのか、山の上だからなのかよく分からないが、左右の林がびゅうびゅう鳴っている。その割に体には感じないから、おそらく南風なのだろう。

この風で頂上では休めそうになかったので、ちょうど現れた平らな岩に腰掛けてお昼休みにする。正午過ぎだった。粉末のレモンジュースを溶かして、ランチパックと菓子パン。菓子パンはルックチョコレート味という妙なものにした。

山の陰になるためかほとんど風は当たらない。木々の向こうから、燕山・加波山が間近に見える。平らな岩も座り心地がよく、意外とゆっくりできた。

体力をチャージして、再び山頂を目指す。休んだ場所からは10分ほどで着いたのだが、頂上は広いもののベンチがなかったので、かえっていい所で休めたのかもしれない。犬を連れたおじいさんが休んでいた。強風がおさまってきたのは、何よりのことであった。(後日、山頂にある祠の後ろ側に腰掛けられる岩と展望地があったことに気づいた)

頂上直下でゆっくりしてしまったので、難台山通過は予定より30分ほど遅れてしまっていた。写真を撮って、すぐ出発。南側の登山道はごつごつした岩場で、筑波山と似たような感じだった。

さて、「難台山(なんたいさん)」とは変わった名前である。はじめは、よくある「男体山」に難しい漢字を当てたのだろうと思ったのだが、双耳峰ではないし近くに相対する山もない。なぜこういう名前になったのだろう。

考えられるのは、この山の南側に難台山城という山城があったので、城の名前が山の名前になったのではないかということである。南北朝時代にここで籠城戦があったという史実があり、攻めるのに難しい城という意味で名付けたのかもしれない。

岩場の急斜面を下って行くと、この「難台山城」に至る分岐となり、その先に屏風岩だの、天狗の庭だの、なんとか鼻だの、奇岩が並ぶ台地となる。あるいは、ごつごつした岩の台地ということで「難台山」となったのだろうか。

難台山から先は、それほどきつくなさそうだと思っていたのに、予想に反してこの先もアップダウンが続く。大福山の山名標のあるピークまで登り、いったん下ってさらに432ピークの三角点まで登ると、さすがに息が切れた。

三角点のピークには短く切った木がベンチのように組まれていたので、その上に腰掛けさせてもらう。吾国山・難台山とはまた違う景色で、ここからは南東に向けての景色を楽しむことができる。

木々が目隠ししてはいるものの、筑波山が顔を見せた。筑波山から続く峰々とこちらの山並みの間の平地は、八郷盆地と呼ばれる。南側は霞ヶ浦になるので正確には盆地とはいえないだろうが、山々に挟まれて開けた土地である。

かつて、ここには八郷町という町があった。いまでは、石岡市と合併している。筑波山麓ではユースホステルが閉鎖となって久しいし、この日の午前通った洗心館も県の施設が閉鎖されている。その中で、国民宿舎つくばねはいまも営業している。場所的に、かつての八郷町営だったはずである。がんばってほしいものである。

(この項続く)

p.s. 「中高年の山歩き」、バックナンバーはこちら


道祖神峠からはきつい登りが続く。ようやく、難台山の姿が見えてきた。


難台山頂上は広くなっているが、ベンチはない。手頃な場所で昼休みにしておいてよかった。


難台山直下は筑波山とよく似た岩場。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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