FC2ブログ

記事一覧

吾国山とは国見山の意味だろうか 吾国山・難台山(中編)

丁石の道はいったん未舗装の細い道になり、再び舗装道路に出て、十二丁目あたりで森の中に入る。傾斜がいっぺんにきつくなるが、急傾斜というほどではない。あまり日が差さず、普通の冬の日だったら寒いかもしれないが、寒さはまったく感じない。

再び舗装された林道に出て、そこを横切って登山道が続く。さらに登ると、防護柵で植生保護している斜面に出た。カタクリ群生地と書いてある。途中で道が分かれるが案内標識がない。

人工物の見える方が頂上だろうと思って登って行くと、宗教の教祖らしきお墓であった(後から調べたら、我国神徳社という宗教法人で、下妻に神社がある)。昭和三十年代の石碑がある。今でもきちんと手入れされているようで、周囲は整然としている。

しかし、ここは頂上ではない。向こうにベンチが見えるのでそちらだろう。植生保護柵に沿って歩いていくと、もう一登りで頂上だった。福原駅から2時間弱で吾国山頂上に着いた。

頂上には比較的新しいお宮があり(田上神社という)、一枚岩を削った大きな手水鉢が置かれている。どうやって運んできたものだろう。ここまで歩いてきて、会ったのはカタクリ群生地の手入れをしていた人だけで、山頂も一人占めである。

お宮の前にはベンチが2脚並んで、そこから北側の展望が開けている。すばらしい景色だ。「吾国山」とは変わった名前だと思っていたが、これはまさしく「国見山」だと思った。国見山なら、全国各地にある。おそらく、同じ意味である。

笠間市街からゴルフ場の後方は、仏頂山から高峯、茨城・栃木県境の峰々である。その端に日光の山々がちらっと見えて、さらに左、北西方向に広がっているのは上信越の山。今年は雪が少ないといわれるが、山頂は白くなっている。

この頂上から東と南の展望は開けないので、「吾国山」と名付けたのは、おそらく笠間あたりに勢力を持っていた豪族であろう。笠間には日本三大稲荷のひとつ笠間稲荷があり、古くから開けた土地であった。

しばらく展望を楽しんで、山頂から下りる。ここからの下り坂は結構な急傾斜で、しかも滑りやすい地盤である。急坂を下って行くと、登山道のゲートがあり、その下に林道が通じていた。

林道を下って行くと、正体不明の建物に出た。門構えも車寄せも立派なのだが、何の建物なのか名前が書いてない。車が見えないのだが、中から犬の鳴き声が聞こえるので誰か住んでいるらしい。

帰ってから調べてみると、ここは洗心館という茨城県の施設跡で、かつては林間学校などに利用されていたが不採算のため閉鎖され個人に売却されたという。福祉施設などに使うならともかく、個人では使いきれないし管理もできないように思うのだが。

そしてハイキングコースの矢印は、この建物にそって続いている。かなり心細いが道はちゃんとしているので進む。やがて森の中に入り、坂を下りきったあたりで再び林道と合流した。

そこが道祖神峠で、石岡市と笠間市の境界のようだ。林道は東西に下って行くけれども、ハイキングコースは南北に続いている。ここからは、難台山に向けての登りである。

(この項続く)

p.s. 「中高年の山歩き」、バックナンバーはこちら


吾国山頂上からは、北西方向の眺めが広がる。いわゆる国見山であったのだろう。


吾国山からいったん下って林道に出る。下に見えるゲートの先が林道で、前日の大雨による水がまだ流れていた。


正体不明の施設(洗心館跡)を通り、心細い道を下る。この先で再び林道と合流すると道祖神峠。笠間市と石岡市の境界である。

プロフィール

taipa

Author:taipa
4年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
過去のnifty(2005-2014)、忍者(2014-2018)、当サイトの15ヶ月を経過したブログ記事は、下のリンクからホームページでご覧いただけます。

カレンダー

06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -