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加波山の先達は四国遍路の先達とは違うらしい 燕山・加波山(後編)

燕(つばくろ)山からアンテナ塔の横を通り、いったん林道を下って行く。しばらく進むと大きな拝殿が見えてくる。加波山神社山頂拝殿である。今日加波山神社を名乗っているのはかつての中宮で、麓にある里宮(通常、加波山神社といえばここを指す)もこの系列である。

加波山神社は本宮・親宮・中宮の3社からなり、加波山頂上付近にはそれらのお宮がそれぞれ建てられていてよく分からない。加えて、たばこ神社という摂社や拝殿、石碑が林立しているので、どこがどういう系列なのか部外者には謎である。

いずれの系列も、明治以前は神仏習合の修験道系霊場で一体であった。わざわざ3つに分けたのも、熊野三山に対抗するためだったという説がある。ただ、明治の神仏分離で神社となり、別法人となったことからお互いに対抗する存在となってしまった。

頂上付近で目立つのは「大先達△△記念碑」の大きな石碑で、四国遍路の先達を想像するとたいへん妙なのだが、加波山系の「大先達」というのは千日回峰行の「大阿闍梨」と似た称号で、多くの修行を成し遂げた行者のことらしい。

加波山神社の拝殿を過ぎると、その大先達石碑が並ぶ中、岩場の急坂を登って行く。場所によってはロープを張ってある。拝殿で神社の人がひとり、急坂でシニアの夫婦連れとすれ違った他には誰とも会わない。

再び太ももが悲鳴を上げそうになったが、その前に何とか頂上近くに達した。だが、普通の山のように山名標や三角点がある訳ではなく、お社と石碑が続いているだけである。ひとつひとつのお社に二礼二拍手一礼で拝礼する。

くじけそうになったが、何とかここまで来ることができた。燕山ではこのまま林道を下ってしまおうかと思ったほどだったが、ゆっくり歩いたのがよかったのか回復してくれた。いずれにしても、バスは予定より1本後、5時頃なので日が暮れるまでに下山できればいい。

一番高い場所と思われたお社の写真を撮り、後方を振り返ると先ほど通ってきた燕山のアンテナ塔がきれいに見えた。ただ、帰って調べるとここは加波山神社(中宮)山頂本殿というお宮だったようだ。

加波山の最高標高点としての山頂は、いちばん奥の加波山本宮という場所らしい。そのお宮の周囲にはいままでにも増して多くの石碑が二列三列に並んでいて、どこへ参道がつながっているのかよく分からない。

1/25000図では山頂の東から麓へ続く道があるはずなので右方向を探すと、下に続いている階段を見つけた。しばらく下っていくと、WEBで見たことのある会所のような建物があった。ここを下れば、麓に下れるはずである。

さて、加波山というともう一つ有名なのは自由民権運動の加波山事件である。ただ、加波山に立てこもったというけれどもそれほど大きな施設は頂上付近にはなく、どこがその舞台であったのかよく分からない。

現在の建物である程度の人数が入れるのは加波山神社拝殿と本宮の会所であるが、いずれも十数人といったところで、それほど多くの人数が集結できる場所ではない。

大きさからいえば、過激派学生が武闘訓練をした福ちゃん荘の方がよっぽど大きい。おそらく、加波山に集結したのは人里離れた攻撃されにくい場所だからというよりも、古くから山岳霊場として信仰を集めた神様の加護を頼む意味が強かったのではないかと思う。


(この項続く)

p.s. 「中高年の山歩き」、バックナンバーはこちら


燕山の頂上には何もない。すぐ先にアンテナ塔が3つあり、そのそばに東屋がある。


加波山はあきらめようと思っていたが、足も復活してきたので最後のひとがんばり。


加波山の頂上付近から振り返ると、燕山のアンテナ塔がよく見えた。

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taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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