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四国札所歩き遍路 七十四番甲山寺

午後1時前に出釈迦寺を出て、朝登ってきた道を下って行く。曼荼羅寺までの道は、お墓の中を通った方がショートカットのように見えたし、次の甲山寺の方向だからそちらに進む。曼荼羅寺の駐車場に出て、そこから先は平坦な道になる。

右に曲がって我拝師山を回り込む形となる。この方向からだと、頂上近くにある捨身ヶ嶽禅定がよく見える。ずいぶん上まで登ったものだと思う。しかも登山道ではなく、ずっと簡易舗装が続いて作業用の車両が止まっているのだからすごい。

住宅街を抜けて県道に復帰する頃には、方角的に捨身ヶ嶽は見えなくなっており、あたりは水田が広がる。もう善通寺市街まですぐ近くに来ているはずなのだが、雰囲気は市街地というよりのどかな田園風景である。

あぜ道の向こうに、鈍角三角形の丘が見えるのが、甲山(こうやま)である。甲山寺はあの麓にあるはずだが、お寺のような建物は見えない。水田から集落に近づくと、立派な建物が見えた。あれが甲山寺かと思ったら、行先案内は全然違う方向に続く。あれは、立派な農家のお屋敷だったのだろうか。

30分歩いても、それらしき建物は見えてこない。前方に見えていた甲山も、すでに半分以上通り過ぎたはずである。右手は柵で囲われた斜面が続く。もう山が過ぎてしまう頃、平らに開けた前方から墓地とお寺の境内が見えてきた。

医王山甲山寺(いおうさん・こうやまじ)、医王山の山号を冠する他のいくつかの札所と同様、薬師如来を本尊とする。甲山は裏山が毘沙門天の鎧兜のようであることから、山の名前となり寺号とされたという。だから、本堂・大師堂と同じ規模の毘沙門天堂がある。

たびたび引き合いに出す五来重氏は、甲山寺は善通寺の山の奥ノ院と推測しているが、私は善通寺ができる以前から甲山寺があったのではないかと思う。というのは、善通寺と比べても曼荼羅寺・出釈迦寺と比べても規模の小さい甲山寺が八十八に入れられたということは、それなりの歴史があるのではないかと考えるからである。

そして、毘沙門天を祀っているということは修験道と深い関わりがあるということで、おそらく曼荼羅寺・出釈迦寺への入口となるような霊場だったのではないだろうか。空海の祖先が住んでいたのが善通寺周辺とすれば、そこから我拝師山の霊場に向かう間の中継基地として、甲山寺はちょうどいい位置にある。

何よりも、実際に歩いてみて、お寺に来るまでが田園地帯、お寺を出ると工業地帯と市街地という甲山寺の立地そのものが、此岸と彼岸を隔てる境というか、いかにも霊場としての雰囲気を感じたのである。

境内は比較的こじんまりしている。本堂・大師堂をお参りして、納経所でご朱印をいただく。意外と大きいのは休憩所で、ちゃんと建物になって雨の時などは中に入って休めるようになっている。ありがたいことだ。さすが、お大師様の地元である。

休憩所の前で、自販機でコーラを買って一息つく。まだ時刻は午後2時前で、善通寺には3時には着くだろう。もう少しゆっくりしてもよかったのだが、何があるか分からないので早めに出発する。

歩き遍路でもの足りないのはこのあたりで、後から考えると毘沙門天堂をゆっくり見ておけばよかった。これは他の札所でも同様で、以後のスケジュールが気になってあせってしまうのである。もちろん、急がなければ宿に着けないことも多々あるのだけれど、そのあたりの按配がたいへん難しい。

この日の経過
出釈迦寺 12:45 →[2.8km]
13:30 甲山寺 13:50 →

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら


出釈迦寺・捨身ヶ嶽を下り、善通寺に向けてあぜ道を進む。前方の山が甲山と思われるが、お寺がなかなか見えてこない。


順打ちだとこちらの小さな山門から入る。駐車場側に大きな山門がある。正面が本堂。


本堂奥に大師堂、さらに奥に毘沙門天をお祀りする毘沙門天堂がある。山全体を毘沙門天の鎧兜になぞらえて、甲山と呼ばれた。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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