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「世の中すべてカネ」ではないと私は思う ~年金生活雑感13

先週まで日本史の記事を書いていて、日本史とは離れるけれど気になったことがあったので忘れないうちに。

日本古代史に限らず、経済とか経営とは別の観点で判断すべき人達が、いまやカネだけを評価軸にして動いているような気がする。何が真相であり何を教訓とするかではなく、どういう理屈が自分を偉く見せて、多くのおカネを得られるかで動いているように思えてならない。

「世の中すべてカネだよ」というのは、半世紀前には「そういうシニカルな見方もある」という意味だったはずなのに、いまや本音であり真実であると思われている。少なくとも、多くの人はそうみているらしいが、私は違うと思う。

その理由の第一は、ほとんどの人がいわゆるキャッシュだけをおカネだと思っていることである。おカネという言葉で表されるのが交換価値という意味、昔でいうところの「信用」であれば、それほど違和感はない。「世の中すべて信用第一」というのは、古くからの人生訓である。

しかし、紙幣や通帳残高、有価証券、せいぜい金やプラチナだけがいまの人の「おカネ」である。それらの多くは500年前に持っていっても通用しないし、第一食べたり着たり、生活の助けにはならない。

村上春樹の「1Q84」に、「金はいらん。この世界は金よりも貸し借りで動いている」というようなセリフがあったけれど、1984年には普通であったそうした価値観が、現代では忘れられてしまった。

理由の第二は、生きていくのに必要なものは限られているし、そんなにおカネを集めたところで使い道があるんですかということである。

学生の頃勉強した経済学で、最も重要な法則の一つが「限界効用逓減の法則」であった。空腹の時食べる1枚目のパンと2枚目のパンでは、切実さが違う。3枚目ともなればお腹いっぱいになる。

同様に、世の中のほとんどのものに対して、欲求と効用のバランスがあって、たくさんあればあるほどいいというものではない。使わない部屋がいっぱいある家はムダだし、1日に5食も6食も食べられない。

ところが、おカネはいくら集めてもこれで十分ということにはならない。脱税する人は、たいていカネ持ちである。自分が生きていくのに必要なものは何なのかリストアップして、それにかかるだけのおカネがあればいいとは誰も考えないのである。

第三の理由は、おカネよりも大切なものは時間であると、私は考えているからである。

キャッシュがあろうとなかろうと、1日24時間という時間は誰にも公平である。その24時間をどうやって楽しく充実して過ごせるかが大切であり、おカネを集めるだけ集めて使う時間がないというのは本末転倒である。

「おカネはないけれども1日楽しく過ごせる」のと、「楽しくないけれどもおカネはある」のと、どちらを選ぶのだろうか。後者を選ぶ人は「おカネがあることが楽しい」という頭の構造になっているのだろうが、理解できないことである。

上に書いたようにおカネは交換価値であり、おカネ自体を食べることも着ることもできない。交換価値として機能するのは今日の世界が明日も続くと思っているからであるが、だとすれば500年前もいまのおカネが通用するはずだ。

例えば投資について、アービトラージという手法を使えば、手数料以外のリスクがほとんどなくカネ儲けができる。しかし、そのために必要な多くの時間のことを考えると、とてもそんなことに大切な時間を使ってはいられないと思う。

これらの理由は、大元では一つのことを言っているように思えてならない。世間の多くの人がおカネだけが重要だと思っているから、おカネだけが評価軸になる。卵が先か鶏が先かの議論である。でも、世間の多くの人が信じていることが真実とは限らない。

恰好をつける訳ではないけれども、私はどれだけおカネを手に入れるかよりも、どれだけ「徳」を積めるかが重要だと思っている。「徳」は個人間の貸し借りだけではなく、もっと大きなものに対する貸し借りが含まれている。「徳」を積むことが本当の「得」になると、こじつけではなく本当にそう思うのである。

p.s. 年金生活のバックナンバーはこちら

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taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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