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我拝師山の山号・天霧山を見て採石について思う 七十二番曼荼羅寺(後編)

善通寺の市街地が見えてきたあたりで、道は左右に分かれる。左が国道11号線で、右が曼荼羅寺・出釈迦寺に向かう県道である。県道も片側一車線で、同じくらい幅がある。分岐してすぐの場所に、遍路休憩所があった。ベンチに屋根がついた簡単な造りだが、背面に七十一番から七十五番善通寺までの地図がある。

その地図に曼荼羅寺まで1.3kmとあったので、そのくらいなら休まないで歩いてしまおうと先に進む。気持ちのいい坂道をのんびり下っていくと、ラブホテルの先まで進んだところで曲がるべき道を曲がらなかったことに気づく。適当なところで右に折れたら、向こうから外国人が歩いてきた。どうやら、次の甲山寺に向かう道だったようである。

多少遠回りにはなったものの、ほとんどタイムロスはなかったようで、9時45分曼荼羅寺に到着した。

我拝師山曼荼羅寺(がはいしさん・まんだらじ)、曼荼羅寺と出釈迦寺は同じ我拝師山を山号とするが、弘法大師が修業したという背後の我拝師山からとったものである。この山について、五来重氏は修験道の若一王子からとった「わかいちさん」がもともとの名前で、弘法大師以降にお大師様を顕彰する「我拝師」となったものと考察している。

そもそも、この場所が弘法大師以前から行場であったことは間違いないので、その時点で「我が師を拝む山」という名前は考えにくい。それよりも、若一王子の祀られていたであろう曼荼羅寺の背後の山を「若一山」とする方がずっと自然である。

いずれにしても、もともと曼荼羅寺と出釈迦寺はひとつの寺で、出釈迦寺は捨身ヶ嶽に向かう奥ノ院であったようである。平安時代末の西行(1118-1190)が「曼荼羅寺の行道所へ登るは一大事にて、手を立たるやうなり」と書いている。現在の出釈迦寺も捨身ヶ嶽禅定も含めて曼荼羅寺なのである。

さて、曼荼羅寺は出釈迦寺に比べると平地に建っていて、境内も広々としている。周囲を見回すと、まず間近に迫っているのは我拝師山であり、そこから右に視線を移すと天霧山の削られた山肌が見える。

この天霧山、弥谷山とは峰続きで、山中を北に抜けると海岸寺に達する。天霧城は戦国時代まで香川氏の居城だったが、香川氏は長宗我部氏に敗れ、長宗我部氏も秀吉に敗れ、四国は蜂須賀、山内など元秀吉配下や、徳川譜代の松平氏、仙台伊達藩の分家筋の統治するところとなったのである。

天霧山の採石は本四架橋や高速道などの建設ラッシュ時に始まった。現在はそういう時代でないとはいうものの、一度始められた採石がそう簡単にやめられないことは、高速道路の建設がなんやかやと言い訳をつけていまだに続けられていることでも明らかである。

秩父の武甲山や房総半島の山など、かつて建設ラッシュ時から採掘された山でいまも採石が続けられている。自然保護のうるさい昨今、行政は新たな許可を出すよりすでにある許可を延長する方が面倒がない。そして近年は、塩によるコンクリートの劣化が早いため海砂は避けられる傾向にあり、こうした内陸部の山は引き続き崩されてしまう運命にあるのだ。

その天霧山の麓を抜けてくるのが曼荼羅寺道で、いまも古くからの丁石が残る古道である。曼荼羅寺にもパンフレットが置かれているが、平成26年に鶴林寺・太龍寺へ通じる阿波遍路道と同様に国指定の史跡となった。

曼荼羅寺の寺号は、弘法大師が帰朝後この寺を整備する際に、金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を納めたという故事に基づく。創建はそれより古く推古天皇の時代に、佐伯氏(空海の実家)の氏寺として建てられたとされるが、仏教導入の是非が政争となる時代にそこまでしたかという疑問が残る。

それよりも、我拝師山はもともと修験道の行場として古くから霊場・若一山とされており、空海もまずここで修行したのだと考える方が自然である。後に平安仏教の一方の立役者となった弘法大師を顕彰する意味で、我拝師山となり曼荼羅寺となったのではないかと思われる。

そして、平安時代末には、西行がこの寺をたいへん気に入り、すぐ近くに庵を結んでたびたびここを訪れたという。出釈迦寺に向かう途中に「西行庵」の案内がある。

当時は天霧山も削られておらず、さぞ雄大な景色だったろう。広い境内には、本堂・大師堂の他、観音堂、護摩堂、地蔵堂など多くのお堂がある。また、大師お手植えの松を彫って作った笠松大師(平成になって松食い虫のため枯れてしまった)や、西行の歌碑があり、朝早くから大勢の参拝者が訪れていた。

この日の経過
(観音寺サニーイン[電車]→)JRみの駅 8:25 →[5.5km]
9:45 曼荼羅寺 10:05 →

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら


曼荼羅寺本堂。ここは平地なので境内は広々としている。


鐘楼・納経所方向。大師堂は鐘楼の向こう側にある。


本堂の背後の山は弥谷寺から峰続きの天霧山。かつて山城があり、弥谷寺の水場を使っていたという。山腹に曼荼羅寺への古い遍路道がある。

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taipa

Author:taipa
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