FC2ブログ

記事一覧

琴弾八幡宮の長い石段を登ってお参り 六十八番琴弾八幡宮(後編)

六十八番札所は、もともと琴弾八幡宮である。「道指南」でも「霊場記」でも、「四国辺路日記」でもそれは変わらない。

経緯は、「霊場記」が最も詳しい。ある日、琴の調べとともに八幡神が宇佐から移ってきた。当時この山にいた法相宗の高僧・日証上人が応対し、八幡神ならば奇蹟を起こすよう願ったところ、一夜のうちに海が竹林に、浜が松林になったという。日証上人は村人に呼びかけて舟を山に上げ、「琴弾別宮」としてお祀りしたのが琴弾八幡宮である。

いつの時代からか神仏混淆し、阿弥陀如来をご本尊とする札所となった。明治の神仏分離により琴弾八幡宮と神恵院に分離され、神恵院は現在、観音寺と同じ境内にあることは周知のとおり。とはいえ、「霊場記」挿絵には現在と同じ琴弾八幡が描かれており、ご朱印をどこでいただくかはともかく、遍路としては訪れるべき場所であろう。

大鳥居のあるグランドレベルにも、立派な拝殿がある。あるいは、山の上まで登るのが大変な人は、こちらでお参りするのかもしれない。山上へは、大鳥居をくぐってすぐ右から石段が始まる。

石段は本殿まで381段で、なかなかハードである。この回の区切り打ちでは、弥谷寺や金刀比羅宮でさらに多い石段があるのだが、その第一弾ともいうべき長い登りであった。

一晩休んだとはいえ、前日に雲辺寺を登り下りしたばかりであり、さすがに一気には登れなかった。標高100mにも満たない低い山なのだが、なかなか終わりが見えてこない長い石段である。休み休み登る。

本殿は丸印に琴のマークが、透明なガラスに印刷してある。金刀比羅宮は丸印に金だから、ちょっと違う。本殿前にはお賽銭箱とともに、例の金属製納経札入れが置いてある。朝早くから、何人かの人がお参りしているけれども、お遍路姿は私以外にはない。

二礼・二柏手・一礼で拝礼し、納札する。本来納札とは、お経を奉納するか少なくとも読経してからするものとされるが、神前であれば神式の作法に従うのが無難だろう。

振り返ると、急な石段の下に観音寺市街が見える。真念が「観音まち数千の軒をならぶ」と書いている眺めである。観音寺市の現在の世帯数は約25,000、人口が約6万人だから、江戸時代からほとんど変わらない規模である。

というよりも、もともと観音寺というところは、琴弾八幡宮の門前町として発展してきたものだろう。物資の中継点・集積地としては丸亀と川之江に挟まれて大きくなりにくいし、近くにお城もない。山に囲まれているので、広い耕地がある訳でもない。

そして、観音寺市で最大の産業といえば、いまはJTに買収されてしまった加ト吉である(ブランド名「カトキチ」として残っている)。

加ト吉の社長は長く観音寺市長をしていて、観音寺グランドホテルも系列であった。加ト吉といえばもともと冷凍うどんで発展した会社で、それから多角化して冷凍食品に進出したけれども、私のイメージはいまだに「かときっちゃんの冷凍うどん」である。

その観音寺市街を垣間見ながら石段を下る。登る時と違って、下る時は楽ちんである。遍路地図をみると、麓にある観音寺へは本殿の裏から銭型砂絵展望台を抜けて行けそうなのだが、砂絵は見たことがあるし(何度も見るほどではない)、遠回りになりそうな気がしたからである。再び大鳥居まで下りて、道標にしたがって観音寺に向かう。

この日の経過
観音寺サニーイン 8:00 →[1.0km]
8:20 琴弾八幡宮 8:40 →[1.2km]
8:55 神恵院・観音寺 9:20 →

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら


琴弾八幡宮大鳥居。グランドレベルにも拝殿があるのは、本殿まで登るのが大変だからだろうか。


八幡宮は琴弾山の頂上近くにある。標高100mに満たない山だが、長く続く石段はきつい。


琴弾八幡宮本殿。振り返ると、観音寺市内の眺めが眼下に広がる。例の納札箱が置かれているのは、お遍路のお参りが多いためだろう。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
過去のnifty(2005-2014)、忍者(2014-2018)、当サイトの15ヶ月を経過したブログ記事は、下のリンクからホームページでご覧いただけます。

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30