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登山道から車道を歩き階段を登ってようやく三角寺 六十五番三角寺(後編)

ひびき休息所から三角寺まで30分と案内表示に書いてあったのだけれど、ここから先は登山道になるので話はそれほど簡単ではなかった。並行して沢が流れ落ちている急傾斜の道で、ここまで比較的楽だった分、余計にきつく感じた。

古くからの丁石があるのでそれを励みにして登るのだけれど、丁石の残り二町から車道と合流して、そこからさらに500m歩くのであった。正午のチャイムを聞いて休憩所を出たのに、三角寺に着いたのは12時45分。伊予三島市街に入ってから3時間近くかかってしまったが、何ヵ所かで休憩したりお接待されたりしたので、正味歩いたのは2時間くらいだったかもしれない。

登山道を登り、合流した車道を歩き、さらにはるか上まで続く石段を登り切ってようやく三角寺の山門であった。山門の下には鐘がつるされていて鐘楼を兼ねている。山門には横書きで「三角寺」と墨書されている。

由霊山三角寺(ゆれいざん・さんかくじ)、五来重氏によると三角とは護摩壇のことで、弘法大師が護摩壇を築き、背後の龍王山の龍を鎮めて水が出るようにしたという伝説に基づいている。由霊山は「霊場記」に「もろこしの梅の名所なり」とある。

山門の奥に庫裏があり、本堂・大師堂は左手の奥まった場所にある。かなり高くまで登ってきた割には、広い空間が開けている。山門の左が南になるので、本堂・大師堂の方に太陽があってたいへんまぶしい。本堂と大師堂の間には、地蔵菩薩立像が置かれていた。

伊予の多くの寺と同様、戦国時代に一度焼亡し、再建されたのは江戸時代である。本堂の基礎部分はコンクリで補強されているが、これは昭和46年に行われたという修復によるものであろう。目立つのは内陣を仕切っている木の引き戸で、ここだけが真新しい黄色である。何か謂れがあるのかもしれない。ご本尊は大師御製と伝えられる十一面観音菩薩。

「霊場記」には、背後の山を隔ててさらに山奥にある別格札所の仙龍寺は三角寺の奥ノ院と書かれている。五来重氏によると、その仙龍寺よりさらに山奥にもともとの奥ノ院跡があって、この旧・奥ノ院と三角寺・仙龍寺が一体となった霊場があったと推察している。

ともあれ、三角寺だって歩いてくるには大変な山奥にあるし、仙龍寺だってもっと奥にある。そのさらに奥というから、たいへんな山奥であっただろう。四国はまだまだ奥が深いのであった。

さて、納経が終わってまだ時刻は午後1時半である。遍路道の登りで予想以上に時間がかかったけれど、考えていたよりもかなり早い。遍路地図によるとここから椿堂まで6kmだから、午後3時には着きそうだ。お参りした後、川之江にあるスーパーホテル四国中央に午後5時くらいには着くかもしれない、と思った。(もちろんそんな甘いものではなかった)

石段を駐車場エリアまで下りる。遍路地図には長野商店と書いてあるがそういう店はなくて、軒先でみかんを売っているだけである(駐車場の脇に自販機がある)。戸川公園とひびき休息所でご接待していただいたおかげで、伊予三島のスーパーで補充したペットボトルがまるまる残っていたのでここは素通りする。

しかしこの後、椿堂の先、国道近くのJAまで自販機は見当たらなかったから、ここが最後の給水所であった。そして椿堂までは、普通に歩くと6km1時間半では到底着かないのであった。

この日の経過
ビジネスホテルMISORA →[バス]コープ前バス停 7:25 →[10.8km]
9:45 川之江市街(ファミマ) 10:00 →[3.6km]
11:05 戸川親水公園ご接待 11:25 →[1.6km]
11:50 ひびき休息所ご接待 12:00 →[1.6km]
12:45 三角寺 13:25 →


p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら


予想以上にハードだった遍路道を登り、もう一度舗装道路を歩き、さらに石段を上がってようやく山門に達する。


三角寺本堂。内陣への引き戸が妙に真新しい。


本堂からお地蔵様を挟んで大師堂。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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