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すでに自然に還っている林道平群支線 大台山・御殿山(後編)

登ってきた分岐まで10分ほどで戻り、先に進む。ネタ本に「林道に戻り北に少し行くと林道平群支線が右に分岐する」とあるので、GPSで場所を確認してから、右に伸びている道に入る。

ところが、これが平群支線ではなかったのである。結果的にはこの先に平群支線の分岐があったのだが、100mほどの違いなので緯度経度を読み切れなかった。

そこそこ道幅があり砂利が敷かれていて人も車も入っているのだけれど、300~400m先で林の中に入り、その先で唐突に道がなくなっていた。途中で枝分かれした道はそれ以上に細かったが、やはりすぐに行き止まりであった。

いったん戻って先に進むと下り坂になり、新しいベンチが置かれているところに「林道平群支線」の標識があった。あと100m進めば、迷うこともなかったのである。この日は朝方の事故渋滞もあり道間違いもあり、こういうめぐり合わせだったようである。

平群支線の分岐を過ぎて5分ほどで、慰霊碑の立つ花火工場跡になる。この事故が起こったのは、平成6年というからそんなに昔ではない。爆発事故により4名が命を失った大きな事故だった。

八犬伝の里見家で連絡用に使った浪煙(のろし)を起源とする花火は、この地の郷土文化として長く受け継がれてきた。ところが、この事故以降は全く行われなくなった。慰霊碑の先にある古い小屋が、おそらく作業小屋であり倉庫だったものと思われる。

花火工場の事故は昔からかなり多くあって、WEBを探すといろいろ出て来る。この間「もういちど日本」を見ていたら、秩父の伝統的な仕掛け花火の製造過程を映していて、何人かが木槌で火薬を固めていた。引火すれば間違いなく爆発する危険な作業である。

慰霊碑に手を合わせて先に進む。そして、花火工場跡より先には、納屋も倉庫もない。舗装道路の地盤はだんだん落ち葉に覆われて見えなくなり、やがて厚く土砂が積み重なって見た目では山道と区別はつかない。踏みしめる足の感触で、土の下は舗装されているらしいと分かるくらいである。

はじめは道の傍らに木が倒れかかっているくらいだったが、15分も進むと道路の中央を倒木がふさいでいる。歩く分にはよけて進めばいいけれども、車で通ることはできそうにない。さらに進むと、こぶし大よりやや大きい落石が道路に散乱し、倒木で道をふさがれる間隔も短くなってきた。倒木の間に野いばらが絡みついて抜けるのも一苦労である。

車は長いこと通っていないし、登山客だってここしばらく来ていないようである。GPSで現在地を調べると、まだ鷹取山までの半分くらいしか来ていない。前半戦でここまで荒れているということは、後半はいったいどうなっているんだろう。

少なくとも7~8年前に、「房総のやまあるき」改訂のために内田氏が歩いているはずなのだが、本にはこんな道だとは書いていない。とはいえガードレールが残っているので、かつて車が通った道であることは間違いない。

ところどころ両側から雑草が茂って、先に道があるかどうかすら定かでない。この林道平群支線は、大台山の取り付け道路よりも、道間違いした伐採用の一時的通路よりも、はるかに自然に還っている道路なのであった。

「房総のやまあるき」によると、このあたりに「増田ダム」「鷹取山入口」の道標があると書いてあるが、そうしたものは見つからなかった。あるいは、藪に埋もれて見えなくなっているのかもしれない。やがて、崩壊途上にある斜面に突き当たり、右方向に進路を替える。道幅はいよいよ狭く、藪はいよいよ濃い。

(この項続く)

p.s. 「中高年の山歩き」バックナンバーはこちら

SH3B0777.jpg
林道平群支線と間違えて伐採中の山道に入ってしまう。この先は行き止まり。こことは別に、平群支線の分岐点には標識とプラスチックのベンチがある。

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平成6年に爆発事故があり、4人が亡くなった元花火工場慰霊碑。戦国時代からの伝統であったが、事故以降は作られていない。

SH3B0781.jpg
花火工場跡を過ぎると、林道とはいえ自然に還りつつある道である。倒木や落石もそのまま、少なくともここ数年、車は入ってきていない。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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