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脳がどう思っても体には限界がある ~年金生活雑感6

この前、「年金生活では、ほしいもの・やりたいことの優先順位付けが大切」と書いていて、また思い出したことがあった。

どこかで読んだのだが、バカの壁・養老先生が言うことには「脳は自らを不死だと考えている」そうである。確かに、脳が機能している間は生きているということだし、脳が機能しなくなれば死んだということなのでもう考えることはできない。

だから、脳としては自分が機能しなくなった後のことを想定しないということである。なんだか、ネコには過去も未来もなく現在しかないというのとよく似ている。動物すべて本来そういうことなのかもしれない。

そう言われてみると、巷で言われている年金生活におけるおカネの心配というものは、書いている人も読者も、永遠に生きていることを前提として書かれているように思えてくる。その方が脳には心地よく響くだろうけれど、最近、ちょっと違うのではないかと思えてきた。

すでに還暦はとうに過ぎ、最近体のあちこちが老化してきたことを身にしみて感じる。前々から「100本中2本の当り籤」と書いているけれど、当り籤には当たらないで済んだとしても、体調を保つことがどんどん難しくなっている。

この変化は不可逆的であり、これから先ますます体は動かなくなり、遠からず「当り籤」ということになるのだろう。だとすれば、世間で言われている損得とかおカネの心配より、他にもっと差し迫ったことがあるのではないだろうか。

例えば、「あと1年でやりたいことができなくなるかもしれない」とすれば、ほしいもの、やりたいことの優先順位は「未来がずっと先まで続く」という場合とは違ってくるはずである。

「できなくなるかもしれない」要因は、社会的なものかもしれないし、家庭的なものかしれないし、自分の健康かもしれない。いくらおカネがあっても避けることができないことがほとんどであり、もしかしたら1年も猶予がないかもしれない。

最近、そんなことをつくづく感じるのである。最初の養老先生に戻ると、「脳」はできるだけそういうことを考えないようにする傾向があるので、意識してそう考えないといざそうなった場合に困ったことになる。

いきなり時間が進まないよう、スポーツジムに行ったりサプリメントを使ったりして体調維持には努めているものの、これから先は現状維持がせいぜいだと思う。未来がずっと先まで続くなどということは、どう考えてもありえない。

地位とか名誉とかおカネなんてものは、ほとんど「脳」が求めているものである。「体」は、毎日ぐっすり眠れておいしいご飯を食べて、ストレスなく毎日を過ごせればそれでいい。

リタイア以来、暑すぎず寒すぎない季節に、天気のいい日を選んで山を歩いて、いい景色を楽しむことができるようになった。現役でいれば、毎日4時間近くを通勤に費やし、ストレスに身を削っているであろう時間を、そうやって使えるのはたいへん贅沢なことである。

この歳になって大切なのは、「脳」が求めることではなく「体」が求めることであり、それを一日一日積み重ねていくことではないかと思っている。

p.s. 年金生活のバックナンバーはこちら


プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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