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源信「往生要集」

この本の題名と著者は、大学受験の日本史では必須である。だから昔から暗記して知っていたことは間違いないのだが、この歳になるまで読んだことがなかった。人生、いくつになっても勉強である。

なぜ今頃になってこの本か、という説明をしなければならない。発端は、昨年秋の第9次お遍路で、善通寺に行った時のことである。

宿坊「いろは会館」のすぐ近くに、閻魔(えんま)堂という建物がある。この中には閻魔大王はじめ十王、脱衣婆、懸衣翁など地獄の面々が鎮座しているのだが、その背景を調べてみたら、これまでの認識が十分でなかったことが分かったのである。

これまでの理解では、十王信仰は比較的新しくできたもので、仏教本来の教えとは別であると思っていた。たしかに十王信仰は、中国の道教や日本の末法思想・怨霊信仰などの影響を受けて成立したものであるが、全く別物とは言い切れない。というのは、源信のこの著作があるからなのである。

日本史的な理解では、「往生要集」は平安仏教のひとつ浄土教の基本的なテキストである。つまり、鎌倉仏教の浄土宗・浄土真宗のように念仏・阿弥陀信仰を徹底しておらず、従来の仏教思想の範囲内で阿弥陀如来を重視するという立場にとどまっているように思い込んでいた。

だから、基本となるのはあくまで仏教本来の「六道輪廻」であり、魂の平安を得るためにはこの無限ループから離れて、阿弥陀如来の極楽浄土に往生する他はない、というのが源信の説くところかと思っていた。ところが、そんな単純なものではなかったのである。

まずオープニングでは、六道のひとつである地獄界の様子が事細かに表現されている。もちろん、天界や人間界など他の世界のことも書かれているのだが、地獄界が群を抜いて細かく、また視覚的に訴える内容で、かつ分量も多い。それは、第一章だけでなく「往生要集」全体を通していえることである。

実際、第三章以降では浄土信仰はいかにすぐれているか、その修行はどのように行うべきかが経本や理論を根拠に述べられているのだが、第二章まで、特に第一章冒頭と比べるとインパクトに欠ける。正直、なぜ第三章以降が必要なのかという印象である。

それは、源信はもともと比叡山の学僧であるからである。「往生要集」に書かれていることすべて、「△△経にそう書いてある」「高僧の誰某が著作でそう書いている」などと根拠をあげている。つまり、「往生要集」は源信の創作でもオリジナルでもなく、過去の文献から導いた論文なのである。

お経の種類は多く内容も膨大である。高僧の数もそれ以上に多い。だから、お経や高僧の著作を根拠としてこうした論文を書くことは、浄土教・阿弥陀如来に限らず、戒律でもできるし座禅でもできる。もちろん法華経至上主義でも書けるのだが、源信の工夫は、地獄の記事をオープニングに持ってきたというところにある。

つまり、浄土信仰のPRにあたって、六道輪廻とか末法思想とかいった小難しい理屈ではなくて、「地獄はこんなに恐ろしいところですよ。行きたくなければ阿弥陀如来におすがりして極楽浄土に往生しましょう」という、仏教関係者でなくても感覚的に理解できる説明としたのである。

こうした説明に飛びついたのが位人身を極めていた藤原一族で、同時代の藤原道長はさっそく写本を作らせたし、息子の頼通は平等院鳳凰堂を造った。視覚に直接訴える地獄絵図も多く描かれて、多くの庶民が阿弥陀如来への信心を深めたのである。

長くなったので、続きは来週。

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受験では必ず覚えなければならない本でしたが、60過ぎて初めて読みました。

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