地域おこしはなぜうまく行かないか
- 2023/09/18
- 05:15
先日のクローズアップ現代で、地域おこしで発生したいくつものトラブルについて放送していた。昔、中途入社した会社でいろいろ嫌がらせをされた経験があるので移住側にシンパシーを持つけれど、きっとうまくいかないだろうというのが正直な感想である。
理由の第一は、人やカネを目的にしている取り組みは普通に考えてうまくいかないということである。
地域おこしの理念そのものが、寂れつつある地域に人とカネを取り戻そうという発想である。冷静に考察すると、日本の総人口は年間何十万人も減っていて、高齢化も急激に進んでいる。
だとすれば、地域おこしはゼロサム、というよりもどんどん減っている椅子を奪い合う椅子取りゲームである。うまく取れる人がいる一方で、取れない人は必ず出る。そもそも、そんなゲームをすることが間違いである。
地域おこしの成功例として、地元米のブランド化や商店街の活性化があげられているが、最初の椅子取りゲームで勝ち残っただけで、全員勝ち残れることはない。そして、さらに椅子の減った次の椅子取りゲームで勝てるとは限らない。
だから地域おこしは、最終目的である人とカネを取り戻すことはできない。少なくとも大部分はできない取り組みなのである。
最終目的は達成できなくても、そこに向けて努力することが地域活性化だと主張する人がいるかもしれない。しかし、そこで顔を出すのが人間の本能である縄張り意識である。
大学の先生らしきコメンテイターが「みんな好意で言うことやることがすれ違って誤解を生んでいる」みたいなお花畑なことを言っていたが、私の経験からしてもそんなことはほとんどない。
人間の感情を左右している爬虫類脳は「縄張り意識」をビルトインされていて、自分のテリトリーに入って来る他者を警戒する、追い出そうとする本能がある。
「かつての賑わいを取り戻したい」と言うのはたいてい年寄りである。自分の子供や孫や親せき縁者がいなくなるから賑わいがなくなるのに、赤の他人が居つくはずないだろうと思う。
そして、自分の身内には出ない縄張り意識が、他人だと露骨に出る。番組内で市役所を悪者扱いしている人がいたが、この人の頭の中で役所は身内でなく他人である。
思うに、もともとこの「地域おこし協力隊」は、「青年海外協力隊」の成功をもとに発想されたものではないだろうか。ただ、発展途上国において日本の人材が歓迎されるように、過疎化が進む村落で脱都会の人材が歓迎されるとは限らない。
というのは、同じように日本語を話し、同じ社会的インフラで暮らしている年少のひとに敬意をもって接するのは、そんなに簡単なことではないからだ。「郷に入っては郷に従え」とか言って、移住側に妥協するよう強制することになる。
残酷なようだが、過疎化した村落は限界集落に、限界集落は廃村になるしかない。過疎化した村落にも限界集落にもいい人はいて文化的遺産もあるが、それ以上にどうしようもない人や古い因習が残っているからだ。
p.s. 「なんとなく思うこと」、バックナンバーはこちら。

地域おこしで移住側と受け入れ側のトラブルがいくつも発生している。地域おこしが人やカネを持ってくることだとしたら、うまくいかないのは当り前だと思う。
理由の第一は、人やカネを目的にしている取り組みは普通に考えてうまくいかないということである。
地域おこしの理念そのものが、寂れつつある地域に人とカネを取り戻そうという発想である。冷静に考察すると、日本の総人口は年間何十万人も減っていて、高齢化も急激に進んでいる。
だとすれば、地域おこしはゼロサム、というよりもどんどん減っている椅子を奪い合う椅子取りゲームである。うまく取れる人がいる一方で、取れない人は必ず出る。そもそも、そんなゲームをすることが間違いである。
地域おこしの成功例として、地元米のブランド化や商店街の活性化があげられているが、最初の椅子取りゲームで勝ち残っただけで、全員勝ち残れることはない。そして、さらに椅子の減った次の椅子取りゲームで勝てるとは限らない。
だから地域おこしは、最終目的である人とカネを取り戻すことはできない。少なくとも大部分はできない取り組みなのである。
最終目的は達成できなくても、そこに向けて努力することが地域活性化だと主張する人がいるかもしれない。しかし、そこで顔を出すのが人間の本能である縄張り意識である。
大学の先生らしきコメンテイターが「みんな好意で言うことやることがすれ違って誤解を生んでいる」みたいなお花畑なことを言っていたが、私の経験からしてもそんなことはほとんどない。
人間の感情を左右している爬虫類脳は「縄張り意識」をビルトインされていて、自分のテリトリーに入って来る他者を警戒する、追い出そうとする本能がある。
「かつての賑わいを取り戻したい」と言うのはたいてい年寄りである。自分の子供や孫や親せき縁者がいなくなるから賑わいがなくなるのに、赤の他人が居つくはずないだろうと思う。
そして、自分の身内には出ない縄張り意識が、他人だと露骨に出る。番組内で市役所を悪者扱いしている人がいたが、この人の頭の中で役所は身内でなく他人である。
思うに、もともとこの「地域おこし協力隊」は、「青年海外協力隊」の成功をもとに発想されたものではないだろうか。ただ、発展途上国において日本の人材が歓迎されるように、過疎化が進む村落で脱都会の人材が歓迎されるとは限らない。
というのは、同じように日本語を話し、同じ社会的インフラで暮らしている年少のひとに敬意をもって接するのは、そんなに簡単なことではないからだ。「郷に入っては郷に従え」とか言って、移住側に妥協するよう強制することになる。
残酷なようだが、過疎化した村落は限界集落に、限界集落は廃村になるしかない。過疎化した村落にも限界集落にもいい人はいて文化的遺産もあるが、それ以上にどうしようもない人や古い因習が残っているからだ。
p.s. 「なんとなく思うこと」、バックナンバーはこちら。

地域おこしで移住側と受け入れ側のトラブルがいくつも発生している。地域おこしが人やカネを持ってくることだとしたら、うまくいかないのは当り前だと思う。