山小屋問題について(完結編)
- 2023/09/21
- 05:15
もうひとつの、そしておそらく最大の違和感は、そもそも自然保護と利便性・収益性は相反することである。
WIN-WINだの環境との共生だのきれいごとはいくらでも言えるが、結局のところ自然保護とは、人間が入っていない状態に戻すことである。だから、誰も行かないのが最もすぐれた方法である。
水田だって自然破壊で、自然保護するには水路も埋めなくてはならないしコメ以外の植物も成長させなくてはならない。イノシシが来るのも当然自由だし、害虫を害虫と思うのは人間の都合である。
登山道を整備して、高山植物の生えている場所に入らないようにするのも人間の都合で、そもそも山に入らなければ高山植物にとって一番いい。登山道に柵をしたり擬木を置いたりするのは立派な自然破壊である。
山小屋まで物資を上げるのに費用がかかるというけれども、大規模な宿泊施設を作るから大量の物資が必要になる。大規模な宿泊施設が必要なら道路や下水道整備もセットのはずで、道路を作れないなら大規模施設をそもそも認めなければいい。
一般登山者が7~8時間歩かなければ着かない場所に、何百人も泊まれる施設があって、先週述べたように自由な参入が認められていない。経営が厳しいからといって、利用者に負担増を求めるより前にすることがありそうだ。
自然保護のためにそうすることが必要だという理屈だが、年間数万人も来ること自体が自然破壊である。道路や上下水道を通さなければ自然だとでも思っているのだろうか。
みんなが列をなして富士山に登ったり、槍の穂先や剱岳のタテばい・ヨコばいに行列を作っているのをみると、周辺を整備するか入山規制するかどっちかにしろと思う。
ヤマケイ記事の横尾山荘でいえば、私が行った時に梓川の河原を軽トラックが走ってきて、横尾山荘の自販機にビールやジュースを補充しているのを見た。空き缶を回収してくれるのはありがたいが、一般登山者は3時間歩かないと来れないのである。
もちろん、山で飲むビールはたいへんおいしいけれど、そうした利便性を提供するために許可が出て車が入れるというのは釈然としない。飲みたい奴は自分で運んできて、ゴミを持ち帰ればいいのだ。
もっと言えば、山小屋できちんとした食事が出るというのもよしあしで、フードロスもあるし人件費もかかる。自分で持ってきた食糧を食べるのがあるべき姿だが、山小屋は必ずしもいい顔をしない。みんながバーナーを使えば、当然山火事のリスクも増大する。
だから本来は、国立公園の指定など最小限にすべきで、指定した場所は国が責任をもって管理すべきである。登山道の管理など本当は山小屋の仕事ではないし、遭難したら登山者の自己責任である。
「山と渓谷」も、ウェアやギアの広告料で商売している利用者でない側の利害関係者で、利用者負担の増大を印象付ける意図がありそうだ。そういうことを続けると、いずれお寺やユースホステル(やボクシングマガジン)と同じ道をたどることになるだろう。
わざわざ来なくてもいいですよとアナウンスしている場所にあえて行くのは、脳にある種の欠陥がある人だけである。
p.s. 「中高年の山歩き」バックナンバーはこちら。

山小屋の経営がたいへん厳しいということだが、関係者が善意でやっているから応援しなければいけないという訳ではなかろうと思う。
WIN-WINだの環境との共生だのきれいごとはいくらでも言えるが、結局のところ自然保護とは、人間が入っていない状態に戻すことである。だから、誰も行かないのが最もすぐれた方法である。
水田だって自然破壊で、自然保護するには水路も埋めなくてはならないしコメ以外の植物も成長させなくてはならない。イノシシが来るのも当然自由だし、害虫を害虫と思うのは人間の都合である。
登山道を整備して、高山植物の生えている場所に入らないようにするのも人間の都合で、そもそも山に入らなければ高山植物にとって一番いい。登山道に柵をしたり擬木を置いたりするのは立派な自然破壊である。
山小屋まで物資を上げるのに費用がかかるというけれども、大規模な宿泊施設を作るから大量の物資が必要になる。大規模な宿泊施設が必要なら道路や下水道整備もセットのはずで、道路を作れないなら大規模施設をそもそも認めなければいい。
一般登山者が7~8時間歩かなければ着かない場所に、何百人も泊まれる施設があって、先週述べたように自由な参入が認められていない。経営が厳しいからといって、利用者に負担増を求めるより前にすることがありそうだ。
自然保護のためにそうすることが必要だという理屈だが、年間数万人も来ること自体が自然破壊である。道路や上下水道を通さなければ自然だとでも思っているのだろうか。
みんなが列をなして富士山に登ったり、槍の穂先や剱岳のタテばい・ヨコばいに行列を作っているのをみると、周辺を整備するか入山規制するかどっちかにしろと思う。
ヤマケイ記事の横尾山荘でいえば、私が行った時に梓川の河原を軽トラックが走ってきて、横尾山荘の自販機にビールやジュースを補充しているのを見た。空き缶を回収してくれるのはありがたいが、一般登山者は3時間歩かないと来れないのである。
もちろん、山で飲むビールはたいへんおいしいけれど、そうした利便性を提供するために許可が出て車が入れるというのは釈然としない。飲みたい奴は自分で運んできて、ゴミを持ち帰ればいいのだ。
もっと言えば、山小屋できちんとした食事が出るというのもよしあしで、フードロスもあるし人件費もかかる。自分で持ってきた食糧を食べるのがあるべき姿だが、山小屋は必ずしもいい顔をしない。みんながバーナーを使えば、当然山火事のリスクも増大する。
だから本来は、国立公園の指定など最小限にすべきで、指定した場所は国が責任をもって管理すべきである。登山道の管理など本当は山小屋の仕事ではないし、遭難したら登山者の自己責任である。
「山と渓谷」も、ウェアやギアの広告料で商売している利用者でない側の利害関係者で、利用者負担の増大を印象付ける意図がありそうだ。そういうことを続けると、いずれお寺やユースホステル(やボクシングマガジン)と同じ道をたどることになるだろう。
わざわざ来なくてもいいですよとアナウンスしている場所にあえて行くのは、脳にある種の欠陥がある人だけである。
p.s. 「中高年の山歩き」バックナンバーはこちら。

山小屋の経営がたいへん厳しいということだが、関係者が善意でやっているから応援しなければいけないという訳ではなかろうと思う。