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山小屋問題について(前編)

ヤマケイオンラインに、山小屋の経営が厳しいという特集が載っている。山小屋の経営者も従業員も山が好きで、骨身を惜しまず山岳救助や登山道維持に尽力しているのに、それでも赤字経営なのは何とかならないかという趣旨である。

このことについては、個人的にたいへん違和感を感じている。あまり同意は得られないかもしれないが、ボケてしまわないうちに書き残しておきたい。

まず違和感の第一は、現在の山小屋関係者の善意は信じるとしても、過去からずっとそうであったかどうかである。

ほとんどのお寺ではいまや経営が苦しい。檀家からのお布施や法事の際の収入では生活は成り立たず、立地に恵まれていれば墓地を分譲するか、さもなければ他に収入がないとやっていけないという。

それは否定しないけれども、江戸時代にさかのぼればお寺さんは特権階級で、お寺というだけで収入は保障され、檀家に対する生殺与奪の権力すら有していた。

だから、神仏分離になると廃仏毀釈の嵐が吹きまくり、お寺は庶民の目の敵にされた。このとき廃寺となった寺は多く、興福寺もずいぶん規模が縮小した。いまだに鹿児島県には寺院が少ない。

それでも、第二次大戦前は村落共同体が生活の中心だったし、自由参入できる余地も限られていたので、経営環境に大きな変化はなかった。ところが、大戦後に産業構造が変化し、農業専業者が数%という状況になり、村落共同体は崩壊した。

サラリーマン世帯の多くはお寺に盆暮れお布施をする習慣はないから、多くのお寺にとって収益減となる。それはお寺の経営努力が足りないことだけが原因ではないし、檀家の信心が足りないせいでもない。

山小屋にも、客が押し寄せて仕方ない時期があった。そういう時代には「頭が高い」山小屋関係者が少なくなく、日本アルプスでもその名残りがある小屋もある。

「お客様は神様」だとは思わないが、だからといって山小屋の主が威張る理由にはならない。ただでさえ、追い出されれば行く場所がない山小屋は、利用者の立場が弱いのである。

私が若い頃のユースホステルがそういう感じだった。雑魚寝でセルフサービスでたいした食事も出さないのに、「泊めてやってる感」満載だった(その分安かったが)。その後、次々とつぶれていま残っているのはわずかである。

私自身は山小屋でそういう目に遭った例が少ないが(ない訳ではない)、いろいろ当たると、以前はそうでもなかったことが推察される。

だとすれば因果応報、かつては断るほど客が来て、雑魚寝でも文句も言わず(畳1枚に3人!)、しかも威張っていられたのにそうでなくなった。飯はうまくなければ文句が出るし、コロナのおかげで清潔にしなければならず、おまけに自然保護だ環境保全だとうるさい。

売り手市場が買い手市場になっただけで、利用者も山小屋関係者も以前と違う訳ではない。なのにその時代、山小屋関係者から畳1枚に3人は詰め込み過ぎじゃないかと不満が出なかったのは、それだけいいこともあったということである。

(この項続く)

p.s. 「中高年の山歩き」バックナンバーはこちら

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山小屋の経営がたいへん厳しいということだが、関係者が善意でやっているから応援しなければいけないという訳ではなかろうと思う。

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taipa

Author:taipa
 

7年前にリタイア、気ままな年金生活を送っています。

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