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国分寺への下り坂は大変な急傾斜 五十九番国分寺(その1)

午前8時には宿坊を出ることができた。本堂でもう一度「ごびんずる様」に挨拶して出発する。登りでは長く感じた谷沿いの参道も、下る時はあっという間に仁王門が見えてきた。気になっていた復興記念碑を改めてよく見る。

昭和30年の建立となっている。仙遊寺のパンフレットによれば、昭和22年の山火事で全山が焼失し、本堂が再建されたのが昭和28年という。そう言われると、大師堂の隣に建っていた古い建物もそのくらいのように思われる。おそらく本堂に続いて、大師堂と庫裏が建てられたのだろう。

いずれにしても、ご住職がこの山に入ったのが40年前というから1970年代、つまり昭和50年以降のことだから、全焼した伽藍を再建した時とは時代が違う。当時のご住職とはどういう関係なのか、気になるところである。

さて、復興記念碑の向かい側、車道から分かれて右側に国分寺への登山道入口があり、「四国のみち」と書いてある。南光坊や泰山寺、八幡宮では四国のみち標識に気がつかなかったな、と帰ってから調べてみると、四国のみちは今治市街は通らず、山の方から仙遊寺に出て国分寺に向かうのであった。

この国分寺への下り坂、逆打ちでは大変と思ってしまうくらいきつい山道だった。登りは犬塚池のあたりだけ山道であとは舗装道路だったのだが、下りは延々と山道が続く。四国のみちなので擬木などで整備してあるものの、荷物を持って登るのは大変そうである。

30分ほど山道を下って、突然という感じで人里に出た。ここまで森の中、家もなければ田畑もないという景色だったのが、右左に民家が続く集落である。しかし、商店もなければ自販機もない。ずいぶん大きなお寺と墓地の横を通る。吉祥禅寺と書いてある。大きな通りを渡って、郊外の住宅地になる。ようやく自販機が登場して一息つく。

結局、下りで初めて現れた商店は、1時間近く歩いた国道196号沿いのコンビニだった。逆打ちの場合は、ここが最後の補給基地になる。だが、今回は順打ちだしこの日が区切り打ち最終日なので、特に補充するものはない。

振り返ると佐礼山が見え、その頂上近くに仙遊寺の建物が見えた。前日に宿坊から見えた絶景は、このあたりを見下ろしたものであった。下りでは1時間で下りて来られたが、登りは倍近くかかるだろう。

コンビニから先は徐々に建て込んだ住宅街となり、遍路シールに沿って進む。JRの線路近くの道は狭く、斜めに伸びる分岐も多いのでどちらが正規ルートだか分からない。電柱の遍路シールと遍路地図を確認しながら行き先を確かめていると、自転車で通りかかったおばさんが「ご接待」と手袋をくれた。なぜ手袋なんだろうと思いつつ、お礼を言って受け取る。

線路を渡って国分寺まですぐと思っていたのだが、結構距離がある。道幅が狭くて車に気を遣うのと、下りから平坦になって推進力が弱まったためかもしれない。郵便局に寄って財布の中身を補充する。ここから先、午後は電車と飛行機に乗り継ぐ。歩くばかりでないのでおカネがかかるのだ。

ようやく国分寺が見えてきた。午前10時ちょうどに到着、下りの6.1kmに2時間かかった。

(この項続く)

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら。モバイルフレンドリー対応済。



復興記念碑前から、車道と分かれて登山道に入る。


仙遊寺からの下り坂は、登り以上にハードだ。しばらく登山道が続き、突然村里に出る。


麓まで下りて仙遊寺を振り返る。右の山が佐礼山で、頂上近くに小さく仙遊寺が見えている。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
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