エアコンのなかった時代 ~半世紀前の話42
- 2023/07/31
- 05:15
暑い日が続いている。どうやら東京では、真夏日の過去最高日数を更新しそうな勢いである。
記憶では、昔は最高気温32℃くらいで、35℃を超える日などなかった。統計上もはっきりしていて、昭和時代の猛暑日はせいぜい年間4~5日程度、まったくない年もあった。
ところがここ数年、35℃は当り前、今年など39℃という日もあった。これは全国おしなべての傾向で、札幌や旭川、帯広でも35℃は驚かなくなった。
半世紀前は東京でも、一般家庭でエアコン(当時クーラーといった)のない家の方が普通だった。私が育った家でもクーラーが入ったのは1970年以降で、それも客間だけなので居間も寝室も、もちろん子供部屋も冷房なしだった。
それでも、暑くて気が遠くなるなんてことはなかったし、冷房のない部屋で勉強したり本を読んだり、日中に外に出たりしていたのだからそのくらいの暑さだった。
一般家庭どころか、電車もバスも駅にも冷房なんかなかった。学校だって、職員室にはあったかもしれないが普通の教室にはなかった。デパートに行くと大型のクーラーから涼しい風が出てくるので、うれしくてずっと機械の前にいたものである。
扇風機を回して涼むのがたいそう気持ちよく、扇風機が使えなければ自力でうちわを使うしかなかった。いまでも宣伝でうちわを配ることが多いが、すぐにゴミになる。
当時、子供たちは学校が終わると外で遊んだものだったし、夏休みともなればずっと外である。学校にプールがある時代ではなかったし、ときたま親にプールに連れて行ってもらうとうれしいものだった。いまでは、真昼間に子供が外にいることはほとんどない。
調べてみると、1976年8月、千葉市の最高気温は31.6℃、30℃台の日は13日しかなかった。これだったら何とかエアコンなしで大丈夫だし、外を出歩いても熱中症にならなくてすみそうだ。
結婚したのは1984年(ロサンゼルスオリンピックだ)で、借り上げ社宅のマンションは新しかったけれど(いまも樟葉駅前にある高層マンションである)、エアコンは寝室に一台しかついてなかった。
その年はたいへん暑い年で、せっかくの休みもTVでオリンピックを見て過ごした。それも大画面の前の時代で、14型の小さなTVである。
外に出る気がまったくしなくて、出前で店屋物をとって食べた。いまのようにいろんな種類がある訳ではなく、中華料理とかそのくらいで、中華丼と天津麺で乗っているものが同じなんだなあと思った。
調べてみると、1984年8月、大阪府枚方市の最高気温は30℃以上が27日、33℃以上が16日もあった。しかし、35℃以上の猛暑日は3日だけであった。
今年の7月、佐倉市(千葉ニューにもっとも近い観測点)の最高気温は、30℃以上が28日、33℃以上が17日、35℃以上の猛暑日が11日(30日まで)ある。あの暑かった1984年の大阪より、いまの千葉ニューの方がもっと暑いのである。
p.s. 「半世紀前の話」、バックナンバーはこちら。軽量化工事直後なので、不具合あればご容赦ください。

気象庁データによる年間猛暑日日数。全国平均だから東京だともっと極端だが、2000年以降異次元の増え方をしているのが分かる。
記憶では、昔は最高気温32℃くらいで、35℃を超える日などなかった。統計上もはっきりしていて、昭和時代の猛暑日はせいぜい年間4~5日程度、まったくない年もあった。
ところがここ数年、35℃は当り前、今年など39℃という日もあった。これは全国おしなべての傾向で、札幌や旭川、帯広でも35℃は驚かなくなった。
半世紀前は東京でも、一般家庭でエアコン(当時クーラーといった)のない家の方が普通だった。私が育った家でもクーラーが入ったのは1970年以降で、それも客間だけなので居間も寝室も、もちろん子供部屋も冷房なしだった。
それでも、暑くて気が遠くなるなんてことはなかったし、冷房のない部屋で勉強したり本を読んだり、日中に外に出たりしていたのだからそのくらいの暑さだった。
一般家庭どころか、電車もバスも駅にも冷房なんかなかった。学校だって、職員室にはあったかもしれないが普通の教室にはなかった。デパートに行くと大型のクーラーから涼しい風が出てくるので、うれしくてずっと機械の前にいたものである。
扇風機を回して涼むのがたいそう気持ちよく、扇風機が使えなければ自力でうちわを使うしかなかった。いまでも宣伝でうちわを配ることが多いが、すぐにゴミになる。
当時、子供たちは学校が終わると外で遊んだものだったし、夏休みともなればずっと外である。学校にプールがある時代ではなかったし、ときたま親にプールに連れて行ってもらうとうれしいものだった。いまでは、真昼間に子供が外にいることはほとんどない。
調べてみると、1976年8月、千葉市の最高気温は31.6℃、30℃台の日は13日しかなかった。これだったら何とかエアコンなしで大丈夫だし、外を出歩いても熱中症にならなくてすみそうだ。
結婚したのは1984年(ロサンゼルスオリンピックだ)で、借り上げ社宅のマンションは新しかったけれど(いまも樟葉駅前にある高層マンションである)、エアコンは寝室に一台しかついてなかった。
その年はたいへん暑い年で、せっかくの休みもTVでオリンピックを見て過ごした。それも大画面の前の時代で、14型の小さなTVである。
外に出る気がまったくしなくて、出前で店屋物をとって食べた。いまのようにいろんな種類がある訳ではなく、中華料理とかそのくらいで、中華丼と天津麺で乗っているものが同じなんだなあと思った。
調べてみると、1984年8月、大阪府枚方市の最高気温は30℃以上が27日、33℃以上が16日もあった。しかし、35℃以上の猛暑日は3日だけであった。
今年の7月、佐倉市(千葉ニューにもっとも近い観測点)の最高気温は、30℃以上が28日、33℃以上が17日、35℃以上の猛暑日が11日(30日まで)ある。あの暑かった1984年の大阪より、いまの千葉ニューの方がもっと暑いのである。
p.s. 「半世紀前の話」、バックナンバーはこちら。軽量化工事直後なので、不具合あればご容赦ください。

気象庁データによる年間猛暑日日数。全国平均だから東京だともっと極端だが、2000年以降異次元の増え方をしているのが分かる。