月本洋「日本人の脳に主語はいらない」
- 2023/07/25
- 05:15
たいへん難解で、1度読んだだけでは中身が頭に入ってこない。2度3度繰り返し読んでようやく内容が(半分くらい)理解できる。しかしながら、最新の脳の知見を取り入れた、サジェスチョンに富む本である。
著者は1955年生まれというから、私より2つ上になる。東大工学部を出て、執筆当時(2008年)は東京電機大学教授。
題名からすると、英語と日本語の比較文化論かと思ってしまうが、そんな簡単なものではない。著者によれば、文法は脳における情報処理では氷山の一角で、水面下に認識、言語、思考といった膨大な処理が隠れているのである。
いまはやりのfMRIやMEG(磁気診断装置)などの機器で脳のどこで処理されているか調べると、なんと英語を聞いた場合と、日本語を聞いた場合で、使われる脳の部分が異なる。おそろしいことである。
簡単に言うと、日本語の処理は左脳だけで完結するのに対し、英語は右脳と左脳で情報のやりとりが行われる。「It rains.」の"It"や「I love you.」の"I"は右脳で必要な情報で、文法上どうこうという問題ではないらしい。
例えば「飯を食いに行こう」と言う場合、英語ならば必要な人称代名詞(Let'sのus)が日本語では使われない。これは意味が明白だから文法上省略されているのではなく、そもそも右脳で「誰が」という処理が行われていないのである。
こうした脳における処理のプロセスは、生後間もなく、赤ちゃんが母親や周囲の人間に影響されることにより形成される。「模倣」以前の反射に近いものらしい。この時点で、赤ちゃんはまだ「自分」と「他人」の区別はついていない。
それが、生後半年ほどで自他の区別が可能となり、他人に対して意思を表現できるようになる。最初は泣き声や身振り、次に片言、そして2、3歳頃には言葉による意思疎通が可能となる。
この脳の仕組みは生涯変わらない。われわれは、言葉にする以前に脳内でその前段となる情報処理(思考)を行い、意思決定したり言語化しているが、その仕組み自体は幼少時に完成されているのだ。
だから、英語(ほかの言語も)と日本語は単語が違い文法が異なるというだけでなく、脳のソフトウェアがそもそも違うのである。考えてみればおそろしいことで、小学校に進む以前に、すでに学習可能性がかなりの程度決まっているということになる。
世界ではときおり、野生動物に育てられた人間の話があり、この本にもでてくる。こういう人達はほぼ全員言語能力がないが、それはそうした機能が作られる時期に人間と暮らしていないため、脳にそういう仕組みがないことによる。
いわゆる「ミラーニューロン」のことで、他人の真似をすることで同じような神経のつながりができ、その処理を繰り返すことで脳内でソフトウェア化する。だから、「リアル」もののけ姫がいたら、言葉も話せないし2足歩行もおぼつかない。(実際、「狼に育てられた少女」はそうだったらしい)
それは常識的に考えてそうだろうと思うし、だとすると努力してできる範囲というのは思いの他少ないことになる。長生きしたことでそうした知見が明らかになったのは、知識が広がったとともに少し寂しくもある。
p.s. 書評過去記事のまとめページはこちら。1970年代少女マンガの記事もあります。

たいへん難解な本であるが、最新の知見を取り入れた示唆に富む本である。脳のソフトウェア、情報処理の仕組みは最初に覚えた言語により決まるらしい。だとすると、帰国子女でなければ基本的にバイリンガルにはなれないことになる。
著者は1955年生まれというから、私より2つ上になる。東大工学部を出て、執筆当時(2008年)は東京電機大学教授。
題名からすると、英語と日本語の比較文化論かと思ってしまうが、そんな簡単なものではない。著者によれば、文法は脳における情報処理では氷山の一角で、水面下に認識、言語、思考といった膨大な処理が隠れているのである。
いまはやりのfMRIやMEG(磁気診断装置)などの機器で脳のどこで処理されているか調べると、なんと英語を聞いた場合と、日本語を聞いた場合で、使われる脳の部分が異なる。おそろしいことである。
簡単に言うと、日本語の処理は左脳だけで完結するのに対し、英語は右脳と左脳で情報のやりとりが行われる。「It rains.」の"It"や「I love you.」の"I"は右脳で必要な情報で、文法上どうこうという問題ではないらしい。
例えば「飯を食いに行こう」と言う場合、英語ならば必要な人称代名詞(Let'sのus)が日本語では使われない。これは意味が明白だから文法上省略されているのではなく、そもそも右脳で「誰が」という処理が行われていないのである。
こうした脳における処理のプロセスは、生後間もなく、赤ちゃんが母親や周囲の人間に影響されることにより形成される。「模倣」以前の反射に近いものらしい。この時点で、赤ちゃんはまだ「自分」と「他人」の区別はついていない。
それが、生後半年ほどで自他の区別が可能となり、他人に対して意思を表現できるようになる。最初は泣き声や身振り、次に片言、そして2、3歳頃には言葉による意思疎通が可能となる。
この脳の仕組みは生涯変わらない。われわれは、言葉にする以前に脳内でその前段となる情報処理(思考)を行い、意思決定したり言語化しているが、その仕組み自体は幼少時に完成されているのだ。
だから、英語(ほかの言語も)と日本語は単語が違い文法が異なるというだけでなく、脳のソフトウェアがそもそも違うのである。考えてみればおそろしいことで、小学校に進む以前に、すでに学習可能性がかなりの程度決まっているということになる。
世界ではときおり、野生動物に育てられた人間の話があり、この本にもでてくる。こういう人達はほぼ全員言語能力がないが、それはそうした機能が作られる時期に人間と暮らしていないため、脳にそういう仕組みがないことによる。
いわゆる「ミラーニューロン」のことで、他人の真似をすることで同じような神経のつながりができ、その処理を繰り返すことで脳内でソフトウェア化する。だから、「リアル」もののけ姫がいたら、言葉も話せないし2足歩行もおぼつかない。(実際、「狼に育てられた少女」はそうだったらしい)
それは常識的に考えてそうだろうと思うし、だとすると努力してできる範囲というのは思いの他少ないことになる。長生きしたことでそうした知見が明らかになったのは、知識が広がったとともに少し寂しくもある。
p.s. 書評過去記事のまとめページはこちら。1970年代少女マンガの記事もあります。

たいへん難解な本であるが、最新の知見を取り入れた示唆に富む本である。脳のソフトウェア、情報処理の仕組みは最初に覚えた言語により決まるらしい。だとすると、帰国子女でなければ基本的にバイリンガルにはなれないことになる。