FC2ブログ

記事一覧

急傾斜の参道を本堂まで15分 五十八番仙遊寺(中編)

佐礼山仙遊寺(されいさん・せんゆうじ)、道指南では単に「佐礼山」である。

例の五来重氏はもともと「泉涌寺」であったと推測しているし、実際に急傾斜の参道には「お大師様お加持水」もあるのだが、実際に佐礼山に来てみると、山上から瀬戸内海への雄大な景色が印象的である。寺を作ったとされる阿坊仙人が雲と遊ぶようだったという伝説の方がしっくりくる。

天智天皇の勅願という寺伝と実際に資金提供したのが越智氏であったことを考えあわせると、もともと白村江直後の海防の必要性から開かれた山というのはありそうなことである。

だが、実際に唐が攻めてくることはなく、壬申の乱で非天智系の大海人皇子(天武天皇)が政権を取ったこともあって、唐との関係は改善に向かった。それにより、防衛拠点としての作礼山は、従来どおり海上安全の神に戻った。あわせて、山岳宗教の拠点となったのである。

八幡宮を出てから1時間弱、午後2時前に仙遊寺の仁王門に到着。門の前は広くなっていて、その一角に東屋が置かれている。水も自販機もトイレもない。とりあえず、リュックを下してひと休みする。ここから境内本堂エリアまで、評判の急傾斜が待っている。

仁王門で、参道は車道と歩道に分かれる。車道は仁王門をくぐらずに、そのまま山腹を右に登って行くが、歩道は谷に沿って直登する。傾斜も、車道よりずっときつい。仁王門のところに、「本堂まで徒歩20分」と書かれているし、さまざまなWEBで難所とされているところだ。

だが、足下はコンクリートの階段が続いていて、手すりもある。多くの参拝客は車で本堂まで登ってしまうので、混みあうこともない。そして、ゆっくり登っても15分もかからないで本堂レベルに達することができる。それほど心配することはない。

とはいえ、同宿した人の誰かは、しんどいから帰りは車道を下ると話していたので、感じ方には個人差があるのかもしれない。もちろん、どの程度歩いてここまで来たかによるだろう。私の場合は今治市内発なので、この日のスケジュールが楽だった。

参道から境内に上がると、本堂の向かい側にある鐘楼のあたりに出る。午後2時40分到着。仁王門の東屋で休んだので、実質1時間半。見込んだとおりの時間で、遍路地図にある40分というのは、ちょっと無理である。

ずいぶん上まで登ったように感じたし、実際に標高255mの高さがあるので佐礼山の頂上(281m)近くにあるのだが、境内は広く、狭い場所にひしめき合っているという感じはない。霊場記の挿絵をみても頂上から少し低くなったところに神社と本堂、庵があるので、江戸時代からこの場所にあるのだろう。

霊場記挿絵によると、佐礼山本堂と仙遊寺の場所は離れていて、仙遊寺は国分寺への分岐あたりに描かれている。このことから、かつての仙遊寺は現在より下の位置にあり、佐礼山の別当寺であったものと思われる。

大師堂の隣に昭和に建てられたと思しき古い住宅がある。かつての庫裏かもしれない。古い住宅の隣が大師堂、さらに奥が本堂で、本堂の向こうに宿坊と駐車場がある。まず手水場を使わせていただき、本堂、大師堂の順にお参りする。翌朝にお勤めがあるので、またゆっくりお参りできる。

納経所は、本堂の中である。副住職にご朱印をいただいた。

「これから次も回られますか」

「いや、今日はこちらを予約させていただいてます。もう入れるでしょうか。」

「大丈夫ですよ。入ってすぐが食堂で誰かいますから、声をかけてください」

ということで、まだ午後3時前であったが宿坊に入らせていただけた。

(この項続く)

p.s. 「四国札所歩き遍路」のバックナンバーはこちら。モバイルフレンドリー対応済。



仁王門で車道と別れ、谷沿いの石段を登る。徒歩20分と書いてあるが、それほどはかからない。


本堂エリアに登ってきた。山の上にあるのに、かなり広い境内である。


本堂手前に大師堂。隣の古い建物はかつての庫裏か。

プロフィール

taipa

Author:taipa
3年前にリタイア、気ままなリタイア生活を送っています。
過去のnifty(2005-2014)、忍者(2014-2018)、当サイトの15ヶ月を経過したブログ記事は、下のリンクからホームページでご覧いただけます。

カレンダー

01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29