福田千鶴「女と男の大奥」(続き)
- 2023/04/30
- 05:15
そして、大奥というと男子禁制というイメージがあるけれど、将軍の子供を養育するのが仕事のひとつだから、男の子であれば男友達が必要である。一応9歳以下という縛りがあったらしいが、かなりの数の男子がいたのである。
さらに、大奥は不動産管理業であり出張店舗でもあるので、当然業者さんが入って来る。入れる業者は決まっていたにしても、中に入らなければ仕事にならないことも多い。
「奥方法度」「女中法度」という「武家諸法度」大奥版のルールがあって、その中には畳替えは隔年、障子は年1回、破れたら基本自分で修繕するなどと細かく定められていた。部屋数も多いから作業も多く、実際は業者さんが入らないとできない。
通行証はあったけれど、大工の親方などは、来るたびにメンバーが違うのだからいちいち名前は届けられない。親方他何名でいいだろうなんて話になる。
他に、暖房用薪炭の運び込みや水くみ、ゴミ収集、大きな荷物・重い荷物の運搬には男手が必要である。そうした仕事をするため、いわゆる下男がいた。厳格に運用するようたびたび通達が出ていたということは、注意されなければ大奥に入れて作業させていたんだろう。
また、大奥は将軍私邸なのだから、嫁に行った娘が里帰りする場所である。江戸時代は、政略結婚で大名家に嫁いだ将軍の実の娘や養女がたいへん多い。そうした娘が帰ってきてその内情を話すから、大奥には外交や諜報部門としての機能もあることになる。(鎖国しているので諸大名とのつきあいが外交になる)
さらに、正規のルートで将軍に伝えにくい事項は、大奥を通じて内々にお伝えするというルートもあった。これを「内証ルート」といいたびたび禁止されたが、そんなものなくなる訳がない。うるさい奴は将軍の人事権で飛ばされるだけである。
そうした情報が集まる場所だから、大奥は早くから裏人事部のようになり、今日の選挙事務所に似た機能を持つようになる。公共工事の多くが議員の事務所で差配されるのは、江戸時代から現代まで続いているのだ。ますます、キャバクラのナンバー1では勤まらない。
こうしたさまざまのヒントを与えてくれた本なのだが、残念ながら「大奥法度」「女中法度」を中心とした文献研究が中心で、考察の範囲も家綱・綱吉あたりまでである。大奥が大混雑したはずのオットセイ将軍・家斉時代のことはほとんど扱っていない。
著者の考えとしては、「法度」などのルールが変わっていないので状況も同じということなのだが、部屋が一杯になり託児所も順番待ちになるような状況で大奥がどのように運営されたのか、たいへん興味のあるところが割愛されてしまったのは残念である。
p.s. 書評過去記事のまとめページはこちら。1970年代少女マンガの記事もあります。

吉川弘文館の最近の本はなかなかおもしろい。大奥は将軍専用キャバクラ(だけ)ではなく、託児所であり病院であり給食センターでダスキンでタクシー会社なのは考えればすぐ分かることだが、気が付かなかった。
さらに、大奥は不動産管理業であり出張店舗でもあるので、当然業者さんが入って来る。入れる業者は決まっていたにしても、中に入らなければ仕事にならないことも多い。
「奥方法度」「女中法度」という「武家諸法度」大奥版のルールがあって、その中には畳替えは隔年、障子は年1回、破れたら基本自分で修繕するなどと細かく定められていた。部屋数も多いから作業も多く、実際は業者さんが入らないとできない。
通行証はあったけれど、大工の親方などは、来るたびにメンバーが違うのだからいちいち名前は届けられない。親方他何名でいいだろうなんて話になる。
他に、暖房用薪炭の運び込みや水くみ、ゴミ収集、大きな荷物・重い荷物の運搬には男手が必要である。そうした仕事をするため、いわゆる下男がいた。厳格に運用するようたびたび通達が出ていたということは、注意されなければ大奥に入れて作業させていたんだろう。
また、大奥は将軍私邸なのだから、嫁に行った娘が里帰りする場所である。江戸時代は、政略結婚で大名家に嫁いだ将軍の実の娘や養女がたいへん多い。そうした娘が帰ってきてその内情を話すから、大奥には外交や諜報部門としての機能もあることになる。(鎖国しているので諸大名とのつきあいが外交になる)
さらに、正規のルートで将軍に伝えにくい事項は、大奥を通じて内々にお伝えするというルートもあった。これを「内証ルート」といいたびたび禁止されたが、そんなものなくなる訳がない。うるさい奴は将軍の人事権で飛ばされるだけである。
そうした情報が集まる場所だから、大奥は早くから裏人事部のようになり、今日の選挙事務所に似た機能を持つようになる。公共工事の多くが議員の事務所で差配されるのは、江戸時代から現代まで続いているのだ。ますます、キャバクラのナンバー1では勤まらない。
こうしたさまざまのヒントを与えてくれた本なのだが、残念ながら「大奥法度」「女中法度」を中心とした文献研究が中心で、考察の範囲も家綱・綱吉あたりまでである。大奥が大混雑したはずのオットセイ将軍・家斉時代のことはほとんど扱っていない。
著者の考えとしては、「法度」などのルールが変わっていないので状況も同じということなのだが、部屋が一杯になり託児所も順番待ちになるような状況で大奥がどのように運営されたのか、たいへん興味のあるところが割愛されてしまったのは残念である。
p.s. 書評過去記事のまとめページはこちら。1970年代少女マンガの記事もあります。

吉川弘文館の最近の本はなかなかおもしろい。大奥は将軍専用キャバクラ(だけ)ではなく、託児所であり病院であり給食センターでダスキンでタクシー会社なのは考えればすぐ分かることだが、気が付かなかった。