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印西大師51(完結編) 光堂で七日間の歩き遍路結願

発作から亀成川に向かうと、やがて巡拝初日に歩いた道に合流する。川沿いにある水神社の敷地には集会所と小堂があって、ここが明治ルートの最終経由地である亀成東光院であったものと考えられる。

私の家のあるあたりが分水嶺となって、亀成川は手賀沼に注ぐ。すぐ南の師戸川は印旛沼で、手賀沼は利根川から太平洋に、印旛沼は新川・花見川を経て東京湾に至る。降ったときは数十mしか離れていないのに、ずいぶん遠くに行ってしまうのだ。

坂を登って泉倉寺の前に戻る。「光堂→」の道案内はあさっての方を向いているが、案内板の前のどうみても民家の私有地という小道を入る。民家の外周を回り込むと光堂である。

実は、帰り道でようやく気がついたのがこのルートで、最初は分からずに集会所から下って登ってえらく遠回りをしてしまった。おそらくこの遠回りルートが昔の参道である。

印西地区で最初に国の重文になった建物にもかかわらず、周囲は鬱蒼として暗い。貴重な古い萱葺き屋根も半分はブルーシートでおおわれている。正式には宝珠院観音堂で、かつては妙蔵寺という寺の別院であったことが解体修理の際分かっている。

(ブルーシートは修理のためかけられたもので、秋に再訪した際には足場で囲われて近づけなかった。)

ごく近所にあるにもかかわらず泉倉寺の管理ではないのか、泉倉寺が整然として明るいのに対し、全体に整備されていない。札所も泉倉寺のものよりかなり古い。傍らの古い建物は、かつての集会所だったものだろうか。

印西大師巡拝もこれで結願である。数珠と経本を取り出し、改めて無事結願できたことに感謝申し上げる。この日が誕生日で65歳、無事迎えられたことにもお礼申し上げる。

地元に八十八ヶ所があることを知り、そそくさと準備して65歳記念に歩いた。現在は車でお参りしているのに歩きと勘違いして戸惑ったが、何とか誕生日に結願することができた。

江戸時代と同じルートを歩いて、ニュータウンのすぐ裏に昔ながらの景色が多く残っていたのにも驚いた。光堂のすぐ先がコミュニティパスの停留所で、1日5本のバスに間に合う時間に着くことができた。ここから市役所で乗り継ぎ、約1時間かけて家に帰った。

この日の経過
白井の湯 8:20 → (0.9km) 8:35 番外梶原大師・嘉兵衛前 8:50 → (2.0km) 9:25 番外東光院 9:35 → (3.7km) 10:35 五十四番延命寺(昼食休憩) 10:50 → (3.0km) 11:35 十六番観音寺 11:50 → (1.0km) 12:05 六十三番吉祥院 12:15 → (1.2km) 12:30 八十八番歓喜院 12:35 → (4.1km) 13:30 十二番宝珠院 [GPS測定距離 15.9km]

参考資料
印西歴史愛好会編「印西大師八十八か所 札所めぐりで郷土の歴史を楽しむ」
北総ふるさと文庫「印西大師八十八か所(印西・白井編)」「同(印旛・本埜編)」
ままちゃり倶楽部印西支部「印西大師」(WEB)
五十嵐行男「印西風土記」
五十嵐行男「印西地方史よもやま話」
本埜村史編纂委員会「本埜の歴史」
筒井功「利根川民俗史」
白鳥孝治「生きている印旛沼」
水資源開発公団「印旛沼ものがたり」
印西市立印旛歴史民俗資料館
白井市郷土資料館
ありがとうございました(敬称は略させていただきました)

p.s. 「印西大師八十八ヶ所」、バックナンバーはこちら

SH3B0206.jpg
亀成川水神社に建つ小堂が、かつての東光院と思われる。光堂前の最後の番外札所である。

KIMG0399.jpg
一番泉倉寺のすぐそばにある十二番宝珠院。観音堂は国の重要文化財になっている。屋根が傷んで裏にブルーシートが張られていた。

KIMG0400.jpg
最後の札所は光堂の左奥に建つ。すぐそばにある建物は、かつて大師講で使われたのだろうか。

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Author:taipa
 

7年前にリタイア、気ままな年金生活を送っています。

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