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印西大師48 カンナ街道から平塚延命寺

巡拝当日は工業団地の中には向かわず、旧手賀沼沿いのカンナ街道を歩いた。のどかな道だが、工業団地の抜け道になっていて時折トラックが通る。

次の中台薬師はよく分からなかったが、中台集落の中ほどにある庚申塔が多くある場所かもしれない。建物はあるけれども古く崩れかかっており、札所の小堂も見当たらなかった。

続く本郷堂は中台東区集会所の前にお堂だけが残っている。延命寺との距離が一丁半(約150m)なので、ここで間違いないだろう。

集落内の細い道を進むと、石造りで「真言宗豊山派」「普登山延命寺」の大きな字が彫られている延命寺である。境内は広く、参道中央にも立派な中門がある。

こちらは印西大師五十四番のナンバー札所であり、四国五十四番も同じ名前の延命寺なので、当初からこのお寺に振られていたものと思われる。印西大師より一段高い位置に東葛印旛大師の札所があり、今はこちらがメインのようである。

たいへん立派な本堂だし庭もきれいに整備されているのだが、このお寺で最も印象に残ったのは山門横に貼られていた檀家総代名の説明板である。

それによると、寺院の経営は苦しく、住職の多くは役所に勤めたり教師をして、その収入をお寺の維持にあてている。堂宇や境内、墓地を維持管理するのは個人の努力では難しく、よって檀家で支援するみたいなことが書いてある。

無理もないと思う半面、釈然としない気持ちも残った。というのは、明治になって信教の自由が保障されるまで、庶民は仏教の信者となるしかなかった。それもどの宗派でもいいのではなく、集落の菩提寺の檀家となる必要があった。

現代に例えれば市役所の住民課の業務はお寺が担っていた訳で、そこに住めばそのお寺に法事を頼むしかないし、お布施も納めなければならない。いまの住民税みたいな位置づけである。

その結果として広い土地がお寺のものになったし、住職一家も生活の不安なく暮らすことができた。何教だろうがどの寺を信仰しようが自由になった現代、かつて三百年間しなかった苦労をしなければならなくなったということではないのだろうか。

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中台薬師の札所は、古い石碑が林立するここらしい。Googleには中台集会所とあるが、もう使われていないようだ。

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延命寺の一丁半前にある本郷堂の札所。現在は平塚本郷集会所が建っている。

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平塚集落の奥まった場所にある延命寺。境内はかなり広い。左が印西大師五十四番、右奥が東葛大師の札所。

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Author:taipa
 

7年前にリタイア、気ままな年金生活を送っています。

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