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印西大師40 神々廻街道の薬王寺と神宮寺

二十三番薬王寺は西福寺のすぐ先。西福寺が道路の下だったのに対し、こちらは階段を登って道路の上である。境内はこじんまりしているが、ご住職が住まれているお寺で犬が留守番をしていた。

本堂と向い合せに札所がある。そして再び回向柱。おそらく小廻大師のものと思われるが、墨が薄くなって確認できない。

四国二十三番は名前も同じ薬王寺。「みな人のやみぬる年の薬王寺…」のご詠歌が掲げられている。境内には、寺に伝わる青竜伝説の説明板や、薬師堂、石仏などが並ぶ。

印西大師の結願寺は南陽院、広福寺、来福寺の3寺が持ち回りだが、本堂落成などの際に結願寺となることもある。その例がこちら薬王寺で、昭和九年に結願寺となっているそうだ。

その際には、清戸薬王寺の名前でお大師様のお札が刷られたようで、白井郷土資料館の企画展の際に展示されていた。昭和はじめなので、巡礼に多くの参拝者が集まったことだろう。

薬王院を過ぎてすぐ、千葉ニュー方面へ折れる道がある。この先が白井市十余二で、現在の巡行ではここの阿夫利神社を巡拝している。明治ルートには入っていないので、神々廻街道を直進する。

30年前に建設予定だったニュータウン北道路はいまなお貫通しておらず、神々廻街道が現役である。ニュータウン北道路との交差点を過ぎると、交通量は少なくなるが飛ばしてくるトラックが増える。

江戸時代の姿がそのまま残っているような道で、曲がりくねって農家のすぐ前を通る。この先で木下街道と交差するので、今も抜け道に使われている。薬王寺から2kmほど歩くと、二十七番神宮寺がある。

こちらのお寺は白井大師講の中心だったらしく、大師講解散の碑をはじめ、往年の四国八十八ヶ所巡拝の記念碑や南無大師遍照金剛の石碑が数多く建てられている。

旧白井町には、現在も巡行が続く東葛印旛大師、印西大師の他に、解散してしまった白井大師、平塚大師という講もあった。農業だけでなく、木下から江戸までの物流中継点でもあったので、経済力があったのだろう。

やはり回向柱が立つ。字はもはや消えてしまったが、これが小廻大師だとすると印西町から神々廻街道を回ったものだろうか。小廻りという名前だがかなり区域が広い。

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二十三番薬王寺。西福寺と道路を隔てた反対側で、境内はこじんまりしているが活気がある。

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二十七番神宮寺。神々廻集落の中心にある。境内は広く、かつては近在でも大きなお寺だったに違いない。

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神宮寺札所。札所と向かい合って、白井大師講記念碑など記念碑がいくつか並んでいる。

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Author:taipa
 

7年前にリタイア、気ままな年金生活を送っています。

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