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印西大師39 鉄骨で補強され斜めっている西福寺

安養寺から船尾神々廻(ししば)街道を5分くらい歩くと、十番武西(むざい)観音堂である。

江戸時代からある観音堂とは思えないような現代風の建築、しかもまだ新しい。表札は大きく「武西観世音堂」とある。昔の建物だと間違いなく改築記念の石碑が立っているものだが、残念ながらなく詳細は分からない。

ただ、建具やサイディングの様式をみると、平成に入ってからのものであることは間違いない。ご詠歌の日付が平成三年だから、あるいはその時かもしれない。

観音堂の前に札所。十番切幡寺のご詠歌である。平成三年だから三十年前。少し薄くなりつつある。そして回向柱。こちらは墨が消えて読めないが、おそらく白井小廻大師のものだろう。

観音堂は真新しいのに、敷地の奥には日露戦争慰霊の石碑。こちらは100年以上前のものである。日露戦争はこのあたりでは数百年振りに戦死者の多く出た戦争で、ほぼすべての集落に慰霊碑が立てられている。

観音堂までが印西市で、ここから国道464号まで市境で民家は少ない。畑と工場・倉庫がかわるがわる出てくる道を30分ほど歩く。464号の少し前に「白井市」の表示がある。

印西大師の中にいくつか白井市のお寺が含まれるのは興味深い。ただし、白井市全域という訳ではなく、ナンバー札所は旧永治村と白井神々廻街道沿いに集まっている。永治村は、白井町と印西町に分かれて合併されたため、地縁的には印西に近い。

白井市には、いまも活動している東葛印旛大師があり、解散してしまった白井大師講がある。1世代前にはたいへん大師信仰の盛んな地域だったのだが、ニュータウン開発で離農者が増えたことから活動が難しくなったようだ。

国道464号を越えてすぐ、二十六番西福寺がある。この近くには西福寺と薬王寺があり、薬王寺は案内看板をよく見るのだが、西福寺は分からなかった。

ところが、道路沿いの低くなった場所に、鉄骨で補強された古びた建物がそうだったのである。あれがそうだったのかと驚いた。歩いて行ってみると、街道から入る細い道の奥に、広い境内があった。

ただ、ここはすでに寺としては使われていないようで、本堂は補強がなければ倒れてしまうのではないかと思うくらい傾いている。境内にいくつか残っているお堂は崩れそうだし、乳の出がよくなると信仰されたイチョウも枯れているのではないかと思うほどだった。

3つ並んだ小堂のいちばん右が印西大師の札所。長年の風雪で、格子が壊れかかっている。境内に石碑が多く残されているが、他の札所で見られた回向柱は見当たらなかった。

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十番武西観音堂。安養寺からすぐにある。建物は最近のものだが、新築の経緯等を書いたものは見当たらない。

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観音堂は平成になってからの改築だが、札所はもっと古そうだ。札所の向こうに、日露戦争戦没者供養塔などが並ぶ。

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二十六番西福寺。本堂は鉄骨で補強されており、集会所もあるのだけれど、道路より低い位置で寂しげである。写真の大木が、乳の出がよくなると信仰を集めた大イチョウ。

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Author:taipa
 

7年前にリタイア、気ままな年金生活を送っています。

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