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遠山美都男「古代の皇位継承」

私が若い頃、20世紀末の古代史の本はほとんどがつまらなかった。基本的に日本書紀絶対、天皇は古くから神聖にして侵すべからずという論調で、古田武彦などキワモノ扱いであった。

あまりにも冷遇されたせいか、最後には本当にキワモノの「東日流外三郡誌」に行きついてしまったのは残念であったが、第二次世界大戦前の皇室絶対、大和朝廷は永遠ですというだけの見方に疑問符を投げかけたのは重要であったと思う。

そして、私の世代になってようやく、より自由な見方、事実はこうであったのではないかという推察が進んできたのはうれしいことである。この本も、「古代の」という題名ながら内容は奈良朝の皇位継承で、たいへん興味深い内容である。

私自身、「常識で考える日本古代史」で考察したように、大和朝廷が日本列島を代表する政権となったのは白村江以降であると考えている。少なくとも、「天皇」という名乗りは、天武天皇の時代、日本書紀が作られて以降である。

百歩譲って大和朝廷が白村江以前から日本を代表していたとしても、大化の改新から数十年、聖徳太子の時代から百年ほどしか経っていない時代と、少なくとも千数百年皇室が続いているいまとでは、皇室に対する見方は違う。

著者の見方はまさにそういうことで、天智系と天武系の対立というのは後付けの理屈で、当時の天皇周辺はそんなことを考えていなかったとする。まったく同感である。

それでは、何を考えていたのか。少なくとも持統天皇周辺は、近親結婚の積み重ねで濃厚な血の後継者を作り、その子孫に皇位を継がせようと考えていたという。

これは、現代の考え方からするとたいへん危険だが、当時の人達はそんな保健理論、近親結婚で病気が起きやすくなることなど知らない。しかしそう考えると、天智・天武期前後に、現代では忌避される近親結婚が繰り返されていた理由を説明できるのである。

それを無知だとか前近代的で片づけられないのは、現代でも競馬の世界で、3×4の近親交配(インブリード)で走る馬が出るなどと言われている現実をみれば分かる。もっとも、最近あまり言われなくなったようだ。

そして、「大鏡」に書かれているように藤原不比等の父親が藤原鎌足ではなく天智天皇だとすれば、さらに近親婚の度は進む。事実かどうかは分からないが噂があったのは間違いないので、そういう意図で奈良時代の後宮は成り立っていたということになる。

だから、いわゆる天武系の聖武天皇や孝謙・称徳天皇は、自分達の王朝の始祖は文武天皇とその父草壁皇子だと考えていたという。草壁皇子の父は天武天皇、母は持統天皇、妻は母の異母妹・元明天皇である。近親婚の始まった時期である。

長くなったので続きはまた。

(この項続く)

p.s. 1970年代少女コミックス、その他の書評バックナンバーはこちら

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題名は「古代の」だが、内容は奈良時代の皇位継承について。よくいわれる天智系と天武系というのは後付けの理屈で、当時の天皇周辺はそんなことを考えていなかったとする。同感である。


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Author:taipa
 

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