米本和広「洗脳の楽園」(続き)
- 2022/10/26
- 05:15
そして、数少ないトップ以外は余計なことを考える必要はなく、ロボットのように(あるいは養鶏場の鶏のように)朝から晩まで働いていればいいというのは、かつて毛沢東が文化大革命で言っていたのと同じである。
第一世代の生きている間はそれで何とかなるかもしれないが、それでは次の世代以降が育たない。卵だって有機農法だって万能ではない。時代が変わっても共同体を維持するためには、考えない人間ばかりいても仕方がないのだ。
著者は、創設者である山岸巳代蔵が何らかの宗教的体験をし、それを広めようと「特講」を始めたと書いているが、私は事実はもっと単純だと思っている。彼が養鶏場の鶏を見ていて、人間もこれでいいのだと思ったことが発端ではないか(ヤマギシ会の前身は山岸式養鶏会)。
だから、この組織も発足当時は食うや食わずで、他の農家から作物を分けてもらって何とか暮らしていけたが、食べるものもろくになく、生活水準もみじめなものだったらしい(一日2食とか1人6畳はその当時の名残りであろう)。
しかし、1970年代に学生運動に破れた連中が入ってから組織が変質した。生産は拡大し、理論構成も緻密になった。1Q84でふかえりが「ヤマギシは楽しかった」と言ったのは、おそらくそれ以前の組織である。
ヤマギシの村ですべてのものが共有だったり貨幣がないのは昔からだとしても、給料は渡さないものの実は払っていて、利益が上がらないよう操作しているとか、寄付された財産を組織に巧妙に付け替える作業は、おそらく彼ら団塊世代・全共闘世代の知識である。
だから、「特講」が私の過去受けた新人研修や管理者研修に似ているとしても、驚くにはあたらない。考えているのは同じような人間で、おそらく当時のアメリカ発の経営理論や能力開発からヒントを得たのである。
さて、それなりに考えて自分の判断でヤマギシに「入信」した親は仕方ないが、親の意思で訳の分からない学園に入れられてしまった子供達はどうなるのか。
本書の続編といえる「カルトの子」(ヤマギシの他、統一教会、エホバの証人などの子供達について書いている)の中で著者は、「子供を捨てた親はいずれ子供に捨てられる」と書いている。
ヤマギシ学園の子供達を調べた児童相談所の調査によると、子供達は身長で数cm、体重で数kg同年齢の子供より小さかったという。だからヤマギシの子供達が地域の小学校に通うと、「ちびっ子集団」と陰口を叩かれたそうである。
人類の歴史を紐解けば、核家族で父母に育てられた子供など現代だけで、多くは年上の兄弟や親類の子供が面倒をみた。個室なんてないし、風呂も食事ももちろん共同である。なのになぜ成長が明らかに遅れるのか。おそらく宗教には、そういう側面があるのだろう。
p.s. 1970年代少女コミックス、その他の書評バックナンバーはこちら。

副題の「ヤマギシ会という悲劇」がしっくりこないが、教団に潜入して洗脳の危機を切り抜けながらのレポートは読みごたえがある。安倍元首相狙撃犯が、犯行前にこの人には真情を吐露した手紙を送ったという。
第一世代の生きている間はそれで何とかなるかもしれないが、それでは次の世代以降が育たない。卵だって有機農法だって万能ではない。時代が変わっても共同体を維持するためには、考えない人間ばかりいても仕方がないのだ。
著者は、創設者である山岸巳代蔵が何らかの宗教的体験をし、それを広めようと「特講」を始めたと書いているが、私は事実はもっと単純だと思っている。彼が養鶏場の鶏を見ていて、人間もこれでいいのだと思ったことが発端ではないか(ヤマギシ会の前身は山岸式養鶏会)。
だから、この組織も発足当時は食うや食わずで、他の農家から作物を分けてもらって何とか暮らしていけたが、食べるものもろくになく、生活水準もみじめなものだったらしい(一日2食とか1人6畳はその当時の名残りであろう)。
しかし、1970年代に学生運動に破れた連中が入ってから組織が変質した。生産は拡大し、理論構成も緻密になった。1Q84でふかえりが「ヤマギシは楽しかった」と言ったのは、おそらくそれ以前の組織である。
ヤマギシの村ですべてのものが共有だったり貨幣がないのは昔からだとしても、給料は渡さないものの実は払っていて、利益が上がらないよう操作しているとか、寄付された財産を組織に巧妙に付け替える作業は、おそらく彼ら団塊世代・全共闘世代の知識である。
だから、「特講」が私の過去受けた新人研修や管理者研修に似ているとしても、驚くにはあたらない。考えているのは同じような人間で、おそらく当時のアメリカ発の経営理論や能力開発からヒントを得たのである。
さて、それなりに考えて自分の判断でヤマギシに「入信」した親は仕方ないが、親の意思で訳の分からない学園に入れられてしまった子供達はどうなるのか。
本書の続編といえる「カルトの子」(ヤマギシの他、統一教会、エホバの証人などの子供達について書いている)の中で著者は、「子供を捨てた親はいずれ子供に捨てられる」と書いている。
ヤマギシ学園の子供達を調べた児童相談所の調査によると、子供達は身長で数cm、体重で数kg同年齢の子供より小さかったという。だからヤマギシの子供達が地域の小学校に通うと、「ちびっ子集団」と陰口を叩かれたそうである。
人類の歴史を紐解けば、核家族で父母に育てられた子供など現代だけで、多くは年上の兄弟や親類の子供が面倒をみた。個室なんてないし、風呂も食事ももちろん共同である。なのになぜ成長が明らかに遅れるのか。おそらく宗教には、そういう側面があるのだろう。
p.s. 1970年代少女コミックス、その他の書評バックナンバーはこちら。

副題の「ヤマギシ会という悲劇」がしっくりこないが、教団に潜入して洗脳の危機を切り抜けながらのレポートは読みごたえがある。安倍元首相狙撃犯が、犯行前にこの人には真情を吐露した手紙を送ったという。