米本和広「洗脳の楽園」
- 2022/10/25
- 04:10
安倍元首相狙撃犯が、犯行前に真情を吐露する手紙をこの著者に送っていた。NHKや全国紙に登場するコメンテーターは信用できないが、この本を書いた人なら信用できると思ったという。
いまや、マスコミに出てくる人達はみんなカネで動かされる。何を指摘するか誰に味方するか、多くの場合経済的利益によって決められる。だから、TVや新聞以外でも多くの情報を得ることができる現代は、正常な判断力を持つ人間にとって恵まれている。
この本の副題が「ヤマギシ会という悲劇」なので、ヤマギシ学園で虐待を受けた子供達の悲惨な話ばかりだったら嫌だなと思っていたのだが、大部分は「特別講習研鑽会」(特講)と呼ばれるヤマギシ会セミナーへの潜入取材である。
「ヤマギシ会という悲劇」という副題であるが、「悲劇」には、選択は間違っていないのに、時代の流れとかアクシデントとか予期できない事態で悪い方向にいってしまうというニュアンスがあると思う。
正直言って、ヤマギシ会に入るという選択が間違っているのである。だからこれは、悲劇ではなくて当然の帰結である。私だったら、「ヤマギシ会という苦界」と書くと思う。地獄でもいいかもしれない。
潜入といっても身分を隠してという訳ではなく、堂々と名乗って講習に参加した。運営側からは「取材ではなく自分のこととして受講してください」と注意を受けたが、それだけ彼らは自信を持っていたのである。
その「特別講習研鑽会」(特講)、執筆当時は毎月2回、80~100名の受講者を集めていたが、現在では年3回、20人定員である(幸福会ヤマギシ会ホームページ)。受講者数にして数十分の1、このペースで100年やっても300回にしかならない。ところがその当時、すでに1500回の特講が開かれていたのである。
受講の様子と受講生のその後でこの本の大半を占めるが、少し驚くのは、われわれの世代が受けた入社研修とか管理者研修とヤマギシ会の特講とで、共通する要素が少なくないことである。
日本を代表するような大企業と、宗教がかった組織が同じようなことをしていたのである。前者は、企業に忠実で法令を侵すのをいとわない社畜を、後者は、全身全霊どころか全財産を差し出すのをいとわない信者を作り出すためである。
著者の問題意識は、世間のことをひととおり知った上でヤマギシ会に尽くす大人は勝手にやればいいけれども、巻き添えになって社会から切り離される子供達がいたたまれないということである。
子供達は、いままでの地域からだけでなく父母からも離されて子供達だけのコミュニティ「ヤマギシ学園」に送られる。朝食なしの一日2食、まったくプライバシーのない24時間団体生活(布団は2人で1つ)、高校生の年齢になると朝から夜中まで労働である。
それだけならまだしも、園内には監視役からの体罰があり、上級生からのいじめがある。教団以外との付き合いは禁じられ、進路の希望も叶えられない。女子は高等部を出て2年経つと、「調正結婚」という名目で中年男と結婚させられる。
なぜこんな学園に、半狂乱になって入れたがる母親がいたのかまったく理解に苦しむが、ヤマギシにはまるのはまず母親からというケースが多く、父親は最初はしぶしぶである。ところが、特講を受け組織内の付き合いが深くなると、父親もそうなってしまうらしいのである。
Wikipediaによると、1990年代に社会問題化したこと、全財産寄付が脱税と指摘されたこと、実は有機農法でも無農薬でもなかったことが明らかになり販売が落ち込んだこと等により、教団は21世紀以降後退局面にあり、組織内でも改革が図られているらしい。
普通に考えて、ヤマギシ会の唱える「無所有一体」はユートピアである。貨幣がなければ最適な分配ができないし、無報酬労働では生産拡大ができない。いずれは個人も組織も再生産できなくなるのが理論の筋道である。
にもかかわらず教団を維持拡大できたとすれば、それはヤマギシの自然農法が市場を拡大したからではなく、新規入村者が寄付した財産を食いつぶしたからである。ネズミ講と同じで、拡大が止まれば破綻が待っている。
長くなったので続きは明日。
(この項続く)
p.s. 1970年代少女コミックス、その他の書評バックナンバーはこちら。

副題の「ヤマギシ会という悲劇」がしっくりこないが、教団に潜入して洗脳の危機を切り抜けながらのレポートは読みごたえがある。安倍元首相狙撃犯が、犯行前にこの人には真情を吐露した手紙を送ったという。
いまや、マスコミに出てくる人達はみんなカネで動かされる。何を指摘するか誰に味方するか、多くの場合経済的利益によって決められる。だから、TVや新聞以外でも多くの情報を得ることができる現代は、正常な判断力を持つ人間にとって恵まれている。
この本の副題が「ヤマギシ会という悲劇」なので、ヤマギシ学園で虐待を受けた子供達の悲惨な話ばかりだったら嫌だなと思っていたのだが、大部分は「特別講習研鑽会」(特講)と呼ばれるヤマギシ会セミナーへの潜入取材である。
「ヤマギシ会という悲劇」という副題であるが、「悲劇」には、選択は間違っていないのに、時代の流れとかアクシデントとか予期できない事態で悪い方向にいってしまうというニュアンスがあると思う。
正直言って、ヤマギシ会に入るという選択が間違っているのである。だからこれは、悲劇ではなくて当然の帰結である。私だったら、「ヤマギシ会という苦界」と書くと思う。地獄でもいいかもしれない。
潜入といっても身分を隠してという訳ではなく、堂々と名乗って講習に参加した。運営側からは「取材ではなく自分のこととして受講してください」と注意を受けたが、それだけ彼らは自信を持っていたのである。
その「特別講習研鑽会」(特講)、執筆当時は毎月2回、80~100名の受講者を集めていたが、現在では年3回、20人定員である(幸福会ヤマギシ会ホームページ)。受講者数にして数十分の1、このペースで100年やっても300回にしかならない。ところがその当時、すでに1500回の特講が開かれていたのである。
受講の様子と受講生のその後でこの本の大半を占めるが、少し驚くのは、われわれの世代が受けた入社研修とか管理者研修とヤマギシ会の特講とで、共通する要素が少なくないことである。
日本を代表するような大企業と、宗教がかった組織が同じようなことをしていたのである。前者は、企業に忠実で法令を侵すのをいとわない社畜を、後者は、全身全霊どころか全財産を差し出すのをいとわない信者を作り出すためである。
著者の問題意識は、世間のことをひととおり知った上でヤマギシ会に尽くす大人は勝手にやればいいけれども、巻き添えになって社会から切り離される子供達がいたたまれないということである。
子供達は、いままでの地域からだけでなく父母からも離されて子供達だけのコミュニティ「ヤマギシ学園」に送られる。朝食なしの一日2食、まったくプライバシーのない24時間団体生活(布団は2人で1つ)、高校生の年齢になると朝から夜中まで労働である。
それだけならまだしも、園内には監視役からの体罰があり、上級生からのいじめがある。教団以外との付き合いは禁じられ、進路の希望も叶えられない。女子は高等部を出て2年経つと、「調正結婚」という名目で中年男と結婚させられる。
なぜこんな学園に、半狂乱になって入れたがる母親がいたのかまったく理解に苦しむが、ヤマギシにはまるのはまず母親からというケースが多く、父親は最初はしぶしぶである。ところが、特講を受け組織内の付き合いが深くなると、父親もそうなってしまうらしいのである。
Wikipediaによると、1990年代に社会問題化したこと、全財産寄付が脱税と指摘されたこと、実は有機農法でも無農薬でもなかったことが明らかになり販売が落ち込んだこと等により、教団は21世紀以降後退局面にあり、組織内でも改革が図られているらしい。
普通に考えて、ヤマギシ会の唱える「無所有一体」はユートピアである。貨幣がなければ最適な分配ができないし、無報酬労働では生産拡大ができない。いずれは個人も組織も再生産できなくなるのが理論の筋道である。
にもかかわらず教団を維持拡大できたとすれば、それはヤマギシの自然農法が市場を拡大したからではなく、新規入村者が寄付した財産を食いつぶしたからである。ネズミ講と同じで、拡大が止まれば破綻が待っている。
長くなったので続きは明日。
(この項続く)
p.s. 1970年代少女コミックス、その他の書評バックナンバーはこちら。

副題の「ヤマギシ会という悲劇」がしっくりこないが、教団に潜入して洗脳の危機を切り抜けながらのレポートは読みごたえがある。安倍元首相狙撃犯が、犯行前にこの人には真情を吐露した手紙を送ったという。