角田文衛「待賢門院璋子の生涯」
- 2023/05/31
- 05:15

鳥羽天皇の中宮になってからも待賢門院は「法皇の愛人」が主業務であったようで、年のうち半分は院の御所に戻っていたことが確認できる。(ちなみに、院はすでに60~70代だが、他にも愛人がいた)しかも、生理期間中は内裏にいて、終わると院の御所に戻るということを繰り返していた(普通は逆)。そういう時、何ヶ所も御所のある白河法皇も必ず戻ってきているので、貴族の日記にもご寵愛が過ぎるみたいに書かれてしまうのである。...
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