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立看板に押されて存在が目立たない国宝・重文 五十一番石手寺(中編)

熊野山石手寺(くまのさん・いしてじ)。ご詠歌に「安養の寺」と詠われているように、もともと安養寺と呼ばれていたようである。右衛門三郎伝説に基づき現在の「石手寺」に改められたが、いずれにしても伊予の豪族で律令時代以前に四国の覇者であった越智氏(時代が下って河野氏)が基礎を築いたことは確かである。

石手寺は、越智氏・河野氏の保護により古い時代から盛んだったようで、鎌倉時代に造られた仁王門は国宝、本堂や三重塔など塔頭の多くが国指定の重要文化財となっている。

ところが、せっかくの国宝・重文も立て看板に押されてその存在が目立たなくなってしまっている。おまけに、境内に建物がありすぎて、またそのそれぞれに納札箱が置かれているものだがら、どれが本堂でどれが大師堂だかよく分からない。日本人観光客やら外国人観光客も右往左往していて、落ち着かないことこの上ない。

10kgのリュックを背に境内を歩く。おそらくいちばん高いエリアにあるのが本堂だろうと見当をつけて石段を登る。五色の垂れ幕におおわれた建物がそのようだが、どこにもそう書いてない。

でも「大勝薬師」という立て看板があるので、ご本尊薬師如来のいらっしゃるお堂のようだし、「本堂へは大師堂から入ってください」と書いてある略図からすると、この建物のようだ。

引き続き大雨である。リュックから数珠と経本だけ出して、読経。他の札所だと周りに来るのは私同様のお遍路なのだが、この石手寺はそうではない。お遍路以外の参拝客がほとんどである。大雨とはいえ土曜日ということがあるのだろうか、人が途切れることはない。

棟続きになっている絵馬堂・大師堂との間にも、所せましとお札が貼られていて、まさに「呪の嵐」である。大師堂では、ガイドが外国人観光客相手に説明をしている。雨に濡れずに読経できる場所が限られるので、あわただしい納経となった。外国人観光客もこういうお寺に来て何か感じるところがあるのだろうか。

仁王門の横まで戻って、納経所でご朱印をいただくと、「お寺からです」と小冊子をわたされた。A4版の厚手の紙でできているパンフレットで「極楽即身成仏 大日曼荼羅建立勧進」と書いてある。二つ折りにするのも気が引けたので、リュックカバーを外してリュックの中に入れる。帰ってから見てみたら、寄付のお願いだった。

ここまで五十数ヵ寺回ってきて、ここまで立て看板が林立したお寺は見たことがない。というよりも、いまだかつてこのような文字によるメッセージを前面に押し出している神社仏閣古墳は見たことがない。お寺というよりも、まるで昭和時代の大学構内のようである。

京都奈良の拝観料を取るお寺で立て看板を置くようなことをするとは思えないし、神域とか霊域というのは、神仏からの微細なメッセージを五感を最大限に敏感にして受け取るものだと思っていたから、この石手寺はかなり面食らった。

そんな具合だったので、右衛門三郎再生の経緯やら、歴史の渦に飲み込まれてしまった四国の覇者・越智氏の命運に思いを致すこともできなかったのは残念なことであった(帰ってから調べると、自民党の河野洋平氏やら一郎外務大臣も越智氏の末裔らしいので、しぶとく今日まで人材を輩出しているようである)。

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石手寺仁王門。国宝だったと思うが、「集団的自衛権」の立て看板は異様。


どこが本堂なのかよく分からなかったが、おそらくこれだろう。こちらも「大勝薬師」の立て看板。


そして大師堂。「すくう大師」だそうですが、ラティスはホームセンターであつらえたのでは。このあたりではすでに頭痛が。