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四国札所歩き遍路 五十一番石手寺(前編)

繁多寺を出ると、いよいよ松山の市街地に入る。次の石手寺までは約3km、繁多寺では一時収まった雨が、再び激しく降ってきた。

繁多寺のもともとの名前だったという畑寺の住宅地から、いつのまにか住居表示が東野に変わっている。道なりにバス通りに出た。ここのバス通りも歩道があったりなかったりする。かなり松山市中心部に近づいてきたので、車通りがたいへんに多い。住宅街の中を歩いている方がまだ安心であった。

石手川が近づくと、道がいくつかに分かれる。基本的にまっすぐ進めば石手寺のはずだが、微妙に角度が斜めになっているのではっきりしない。そして、通りの右を進んだり左を進んだりしてふとバス停の行先表示を見ると、伊予鉄久米駅方面のバスはいつの間にかなくなって、松山市駅行きばかりになっている。

松山市街の中心地でありバスの起点・終点となっているのは、JR松山駅ではなく伊予鉄松山市駅である。そして、愛媛県庁や松山市役所へ行くには、伊予鉄松山市駅からは歩けない距離ではないが、JR松山駅からは時間がかかり、市電に乗るのが普通である。

これはもともと、松山市の中心が松山城であり、県庁も市役所もお堀端に作られた一方で、鉄道を引くことができたのは街はずれであったことに起因している。そして、日本国有鉄道が松山まで伸びたのは昭和初期で、明治時代から営業していた伊予鉄に比べて歴史が浅い。それだけ不便な場所にしか作れなかった訳である。

石手川の大きな橋を渡ると、正面に石手寺の山門が見えてきた。時刻は午後2時、繁多寺から1時間かかった。3kmで1時間はかかり過ぎだが、市街地に入るとどうしても信号待ちがあるので仕方がない。今回の区切り打ちでは宇和島や大洲でそういう経験をしたが、何と言っても松山は県庁所在地である。

通りに面して山門があり、その周囲にいろいろなものが置かれている。「熊野山石手寺」と彫られた標石は、墓石のようにしか見えない。その周囲に盆栽を大きくしたような松の木があり、古い標石があり、山伏姿の右衛門三郎もひざまずいている。なんだか、統一感のない門前である。山門と金剛力士像、大わらじがあるくらいのシンプルな方が安心する。

雨が激しいので、屋根のある仲見世に入ってほっとするが、半分くらいしか店は開いていない。閉まっている店が、昔は白かっただろう布を垂らしているのも独特である。右に入ると食堂があり、餅とかおでんを売っているようだったが、雨が激しく屋根に叩きつけるので落ち着いて見る気にならない。それでも、他の札所と比べると人は多い。

その仲見世を過ぎると仁王門がある。確か国宝のはずだ。他にも石手寺には国宝・重文があるというので楽しみにして来たのだが、頭がくらくらした。そこら中に立て看板、模造紙一面に書かれた文字が林立しているのである。

お遍路に限らず、寺社古墳をお参りする時には頭の感度を最大にするようにしている。霊域の発する微細な信号を受け取るためである。ところが、この石手寺は微細な信号ではなく、直接的・顕在的な立て看板がいきなり目に飛び込んでくるのである。まるで、感度最大にしてあるアンテナを目がけて大音量のスピーカーで怒鳴られているみたいな気がした。

「仏陀」「悟り」「心身安楽」「即身成仏」などなど。中国の少数民族云々というものもあれば、霊地お砂踏みみたいな立て看板もある。どう関係があるのか「集団的自衛権」なんてものまである。夢枕獏の小説で安倍清明が「言葉は呪である」と言っていたのを思い出した。

(この項続く)

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繁多寺を出ると、貯水池の向こうに松山の中心地が見える。この日は雨雲でよく見えなかったが、晴れていればいい景色のはずだ。


歩くこと1時間ほどで石手寺に到着。よく見るとこれは墓石ではないだろうか。山門前に小さく右衛門三郎も見える。


屋根のある仲見世を進む。店は半分以上閉まっている。すでに独特の雰囲気である。